卵が先かニワトリが先か
卵がなければニワトリは生まれるはずがない。だから、卵が先に生まれるに決まっている。しかし、その卵を産んだのは誰だ。おなじみのクラシックな論争ですが、原因と結果の関係をめぐる話は至るところにある。オヤジは、今、ある企業の問題で悩んでいる。それは、従業員の給料を上げるのが先か、その原資を勝ち取るために会社の売り上げや利益を上げるのが先かという労使の攻防である。労働側は、「給料が上がれば、みんなやる気がでて、一生懸命働く。そうすれば売り上げや利益が上がるに違いない。それに、上がった給料は消費に回るので、景気が回復し昇給の原資もすぐに取り戻せるはずだ」。というのである。一方、経営者側の言い分は、「それが本当なら、もう一働きして昇給の原資を自らの手で勝ち取ってはどうか。会社は、皆さんが期待通りに働いてくれることを前提に、先に給料額を提示しているのだから、結果を出してもらわないと昇給できない」。といった具合で、なかなか折り合いがつかないというのです。
この種の問題は、「膝が痛いから、歩けなくなり運動不足で太るため、ますます膝に負担がかかり痛みがひどくなる。いやいやそうではない。膝が痛くなったのは、運動を怠ったことが原因だ」という議論や、「勉強をしないから、成績が上がらないのか、成績が悪いから、勉強が嫌いなのか」なども似たようなところがある。はた目から見ると、それほど複雑ではないように見えても、当事者に言わせれば、立派な言い分がある。聞けばこの会社の社長は、その昔、自分が勤めていた会社で全く同じ紛争が起き、会社側があまりにも「わからず屋」だったことに失望して、いわゆる脱サラしたのがきっかけで今日の会社を設立したのだという。社長は、「これが、因果応報というやつなのでしょうかね!」と、肩を落としている。社長が脱サラをしたころと、現代とは時代背景も異なるので、こうした問題が生じた原因を掘り下げてみる必要があるというのが、オヤジの意見ですが、ここまで来ると双方とも、お互いの立場を主張すること自体を目的化してしまい、第三者の説得などには容易に耳をかさない。
ボクたち動物の世界では、労働基準法はもとより、法律というものは全くない。しかし、多少の小競り合いはあったにせよ、あらためて話し合いなどしなくても、ある一定の落としどころがあり、お互いの生存領域を守り続けてきた。動物の世界では「弱肉強食」が唯一のルールで、いかにも野蛮だと感じている人間も多いようですが、それは種を守るための手段としてそれ以外の方法が与えられていないからです。人間が獣や魚を食べるのとまったく同じです。人間はいったん確保した権益は手放そうとせず、さらにその上を目指して戦う。そうした人間同士が出会えば、まず、相手に譲歩を促す。すると、相手も同じような論法で相手を屈服させようと応戦する。この構図は、「卵が先かニワトリが先か」という問題とは違うように見えるが、本質的には同じである。そこで、オヤジには、「相手(双方)の言い分をよく聞くのは問題解決の基本だが、時には、そうした問題が発生した根本(お互いの目的)に立ち返り、『それぞれにとっての最大の利得』とは何かを、逆に問いかけてはどうか。」というアドバイスをしました。