大崎八幡宮
平安時代、坂上田村麻呂が東征の折、宇佐八幡を岩手の水沢に勧請したと伝わる。室町時代には大崎氏が自領内に僊祀して大崎八幡神社となった。その後、伊達政宗は岩出山城内にご神体を遷し、仙台開府とともにかつての所領、米沢の成島八幡社と合わせて現在地に祀ったのである。神社は、応神天皇、仲哀天皇、神功天皇だが、江戸時代に仙台で盛んになった卦体信仰に伴い、戌亥の守り本尊である阿弥陀如来も崇敬されている。社殿は、1607年伊達政宗によって創建された。
造営に当たっては、当時豊臣家に仕えていた一流の工匠を招聘し、豪壮で華麗な建築に仕上げている。拝殿と本殿を石の間がつなぐ様式は、後に日光東照宮にも用いられ、権現造と呼ばれるようになった。拝殿と本での屋根は入母屋造杮葺。拝殿正面には大きな千鳥破風、向拝には小さな唐破風がついている。軒下の木鼻、蟇股、肘木などには鮮やかな色彩の彫り物が施され、艶やかさは見事なばかり。長押しから下の部分は黒朱塗りで重厚さを醸し出している。極彩色の飾りと金、黒漆の対比は、正に桃山文化の粋を表現している。
拝殿の前には長床がある。中央は通り土間、両側は板敷の床となっている。入母屋造杮葺きで通り土間上部に唐破風をつけている。こちらは簡素な木造で落ち着いた佇まいだ。社殿より少し遅れて創建されたものだが、長床としては宮城県最古の遺構である。「こうした仙台の文化の象徴ともいえる社を歴代藩主、そして城下の承認や職人が何百年も守ってきたから、現在まで連綿と続いている訳です。これからも長く伝えていきたいですね」と、吉岡さん(仙台郷土研究会会長)は守り続ける人の存在を強調する。2005年に平成の大修理を終えて創建時の美しさが甦った大崎八幡宮。何度見ても発見がある素晴らしさだ。