青葉神社
ゆったりとした幅のある石段を登るにつれ、木々の気配が強まり、静寂さが増してくる。途中、左手に曲がって大木の陰に包まれながら歩き、つきあたり右の石段を登りきると、狛犬の向こうに拝殿が見える。その上には悠遠の昔からの空が広がっている。宮司の片倉さんは、「ときどき『この神社は、何か空気が違うような感じがします』というようなことを言われます。私は、その理由の一つに、木々にほとんど剪みを入れていないからと考えています。
人間の都合で、自然に手を加えることは、なるべく避けたいと思っています。それが、柔らかい空気になっているのかもしれませんね」と話す。なるほど境内には、太古の杜のような、どこか大らかでのどかな雰囲気が漂っている。片倉さんは、花瓶に生けた花も、枯れたからといってすぐに捨てたりしないそうだ。その変化を愛でているからだ。花に勢いがあり美しいときには、みんながちやほやする。しかし、花が咲けば散ることになっているのだ。そして実になり、種になり、芽が出る。人も、いつも好調なわけではない。調子が良くないと感じる時もあるし、年齢的に生き方を変えていく必要性に迫られる。そのことを受け止めることができれば、心は安らかでいられるはずだと片倉さんは考えている。
さらに、「人は、人とも自然とも助け合って生きていくということを忘れてはならないと思います。ご自分の中の神様のこころを思い出すことが大切です。木が光合成により放出する酸素を人が吸収します。お互いに助け合っていくことが、自然の中にいる人の本来のあり方なのではないでしょうか」と片倉さんは続けた。この神社には伊達政宗が祀られている。宮司である片倉さんが、政宗の右腕として仕えた片倉家の十六代当主であることも、現代の人々に感銘を与えている。愛姫や家臣も祀られており、存命時の人との関わり方の大切さを彷彿とさせる。また、片倉家は大阪夏の陣で敵として戦った真田幸村の子女を育て上げた。片倉さんは、真田家家臣の子孫と名乗る画家に祖先がお世話になったとお礼を言われたそうだ。