仙台七夕まつり(その1)
織姫と彦星が年に一度だけ会う7月7日の星祭り。中国の伝説と日本の風習が融合して出来上がった、美しくもゆかしい七夕行事。宮廷時代から行われながら、ここ仙台では独自の歩みを進め、全国に名だたる「仙台七夕まつり」として進化を遂げてきました。そして、その伝統を縁の下で支えているのは、仙台商工人の熱い魂です。仙台七夕まつりは、今は市内目抜き通りの一大イベントですが、かつては旧市域あちこちで、手作りの笹飾りが風情豊かに揺れていたものです。
こども会で七つ道具の謂れを学びながら、和紙を切り張りした思い出を持つ仙台っ子も少なくないはずです。「現代の仙台七夕の原形といえるのは、昭和2年に大町五丁目町内会が始めたものです」と話すのは、宮城県文化財友の会副会長の伊勢民夫さん。仙台商工会議所に長く勤め、仙台の内と外を知るエキスパート的存在です。伊勢さんによれば、古代中国で始まった七夕は、牽牛織女の伝説と、機織りなど技芸の上達を願う乞巧奠の儀礼が一緒になった行事で、日本では7世紀半ば頃に、宮中で行われるようになった。
公家たちは花を飾って歌を詠み、相撲や蹴鞠など、7種類の遊びを楽しんだという。7月7日の夜を意味する「七夕」を、日本では「たなばた」と読む。これは、豊作を祈願して神の衣を織る日本の「棚機津女(たなばたつめ)」信仰が結びついたものです。江戸時代になると、幕府が七夕を含む五節供を制定し、武家社会に伝わった七夕では書画もたしなむようになる。さらに庶民の七夕は、地方のお盆の風習が組み込まれながら広まった。「仙台藩では、伊達家が宮廷とつながりがあったため、仙台七夕は宮廷行事の流れを汲んでいるといわれています」。