負けた日が再出発の日
これまで破竹の勢いで29連勝してきた棋士の藤井聡太四段が、佐々木勇気五段に敗れ、30連勝を阻まれました。竜王戦決勝トーナメントという大舞台で、対局することの重圧は計り知れないし、負けたことの悔しさも私たち素人には想像もつきません。しかし、終わったときに藤井四段は「連勝はいつか止まるものです。きょうは機敏に来られ押し切られました。勝負どころなく敗れたのは残念。今後も普段通りに、一局一局を大切に指していきたいと思います。」と淡々として敗戦の弁を述べていました。記録を更新したりすることのプレッシャーは、すべての競技に共通することですが、時には命のやり取りに繋がることもあったという歴史を思うと、将棋には格別なものがあるのかもしれません。
ましてや、藤井四段は若干14歳というから、悔しさを前面に表しても不思議ではないはずですが、敗因を冷静に分析し、だれが見ていても恥ずかしくないコメントを述べる姿は、負けることの悔しさを何度となく経験し、その悔しさをバネにして成長してきた証だと感じました。とかく私たち凡人は、勝ったときは、たまたまではなく実力であると自画自賛し、負けたときは運が悪かったと勝手に解釈する癖が身についています。その辺のスタンスが、そもそも凡人たる所以なのでしょうが、それにしても見習うべき14歳です。今回負けたことで、間違いなく藤井フアンが増えると思います。その理由は、これ以上勝ち続けられると、人間として目標にできないとあきらめてしまう人が多くなるからです。
かつて、大相撲の故横綱千代乃富士が、双葉山の69連勝に挑んだ時、解説者が言っていたことを思い出しました。「連勝した時だけ大きな話題になるが、彼がここまで来るのにどれだけ負けを経験したことか。負けるたびに一回り大きくなり、捲土重来を期して頑張りぬいたことが、今日の強さにつながった」。藤井四段は、将来の将棋界を背負って立つ一枚看板に成長できるかどうかは、今後の精進にかかっています。私たちも、勝ったときだけ応援するのではなく、スランプに陥った時でも応援し続けるフアンでありたいものです。わが家では、特に家訓といったものはありませんが、「負けているときにこそ応援するのが本当のフアンというものだ!」というオヤジの言葉がボクも気にいっています。