白石和紙工房(その3)
忠雄さんの講演旅行には、まし子さんも一緒に付いていって全国を回りました。「テープレコーダー代わりに連れて行ったんだと思いますよ」と笑う、奥さんの好奇心の強さを知ってのことだった。四国の金毘羅さんに招待され、国宝修理の職人さんから、2000千年に一度行われる円山応挙が描いた虎の絵(障壁画・重要文化財)の、裏打ちに使われる和紙を納めたときのこと。この絵は、前庭にある池に虎が水飲みにいこうとしているところで、一休さんの虎退治の話の元になっているものだと、館長さんに教えていただいた。
絵を描く人も、物語を作る人も、館長さんも皆大したものだなあと感心したそうです。京都にある映画村の太秦にも行ったことがある。映画の撮影で、紙布織の機械が出てくる場面があるとのことで、それを持っていって使い方を指導したのだという。その時、紙わらじの話が出て、「二足三文」の話題になった。草鞋はわらで編んでいるものだが、長く歩けずすぐにだめになる。だから二足を三文の安値で買い、途中ではきつぶしたもの捨て、腰に付けてあったものに履き替える。ところが紙草鞋は長持ちし、しかも釘なども通さないほど強靭なので、藩政時代の参勤交代で仙台藩士がはいていた紙わらじは往復しても一足ですんだため、たいそう羨ましがられた。
白石和紙は現在でも様々な用途に使われていて、仙台東照宮や青葉神社でお祓いに使う御幣、宮城県知事の公文書、仙台大学の卒業証書も白石和紙です。まし子さんによると、草ニレ(ねり)というのは不思議な役割を果たしているという。トロロアオイの根から作られる、文字通りトロトロと粘り気のある液だが、漉き船にこれを入れることで、楮の繊維を沈殿させず、しかも繊維どうしを絡みつかせない役目を果たしてくれる。水と繊維だけでは隅々まで平らな紙にはならないそうです。紙漉きといえば、漉き船から簾桁ですくって揺するあの動作を連想する人も多いはず。しかし、まし子さんは「紙漉きの作業は、地道で根気のいるたくさんの仕事の中の、最後の仕上げに過ぎないの」。
楮や草ニレを上手に育てることも難しく、それを原料に仕上げるのも簡単ではない。これらの集大成として紙漉きの行程があるわけである。下準備が大変という言葉のとおり、刈った楮が束になって積み上げられ、きれいに整頓された工房。敷地内に(水源 遠藤忠雄建立)と刻まれた小さな石碑があります。工房から小道を隔てて見上げると、竹林と雑木林を背に、小高い丘に建つ母屋。地元の自然の恵みを巧みに活用し、長い歳月、和紙は作られてきました。白石和紙は、白石に風土がなければ成り立たなかったものです。数百年という気が遠くなるような営みも、一日一日、一つ一つの地道な手作業を重ねてきたことの結果に過ぎないのでしょうか。