終日(ひねもす)のたり
与謝野蕪村の俳句「春の海 終日のたりのたりか哉」は、寄せては返す波がゆったりとしている春の海の様子を詠んだものですが、相棒のオヤジの様子もこれに似て、一日中ゆったりと過ごしています。こういうと、いかにも優雅に暮らしているように聞こえるかも知れませんが、実は「のたり」ではなくて「モタリ」なのです。つまり、意識してゆっくり行動しているのではなく、本人はせっかちな性格ですから、急いで行動しているつもりなのですが、体が機敏に反応しないため、モタモタしているだけなのです。
それでも、気持ちだけは若いのか、やり過ぎてお母ちゃんに時々叱られています。ボクも見かねて、「あまり無理をしない方がいいよ!」などと声をかけるのですが、頑固もののオヤジは、少しぐらい無理をしないと機能が衰えてしまうと息巻いています。お母ちゃんは、「言ってくれれば私がやるのに!」といいますが、それがなかなかそうはいかないようです。オヤジに言わせると、「お母ちゃんは、安請け合いで、何でも気軽に引き受けるが、頼まれたことの半分は忘れてしまう」。だから自分でやった方がいい。
ボクから見ると、どっちもどっちなのですが、それは二人とも重々承知していることなので、口は出しませんが、とにかく無理をしてケガなどされるよりは、「モタリ」の方がよほどましです。本来、急ぐことと慌てることは別のことですが、現実には、急いで行動しようと思えば、どうしても慌ててしまうことになりますよね。慌てずに急ぐというのは、若い人にとっても結構難しいことではないでしょうか。ましてや、ボクの相棒のように、根っから気短な人には至難な業のような気がします。これを改めさせるには、ボクが体を張りって粗忽に振る舞い失敗して見せるというのはどうでしょうか?