白石和紙工房(その1)
日本の重要な伝統文化の一つである和紙作りの起源は古く、千年を超える歴史を持つものも少なくありません。和紙そのものの持つ歴史はもちろん興味深いものがありますが、歴史の中に、和紙というものが顔をのぞかせる場面がしばしばあります。白石和紙工房の遠藤まし子さんは、90歳を過ぎた現在でも、紙漉きの仕事に関わっています。体力のいる紙漉き作業そのものはできなくなったものの、頭の回転の速さ、その記憶力の良さは折り紙つきです。
そのまし子さんの話によると、「第二次世界大戦終盤の昭和18年、亡くなった主人のところに宮内省(現・宮内庁)の方が来て、京版(100cm×63cm)の厚さ二号という和紙50枚を注文していったのです」。故・遠藤忠雄さんは、昭和15年前後から外務省に江戸版(90cm×60cm)の和紙を納入していたそうです。宮内庁の注文は重要記録用紙とのことでした。当時の忠雄さんとまし子さんは、どのような用途に使われるかなど知る由もありませんでした。
戦後になって、納めたその白石和紙が日本と連合国との間で交わされた降伏文書に使用されていたことが判明しました。1945年(昭和20年)9月2日、東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリー号上で調印された、あの降伏文書のことだという。「あとになってから、その時の様子を映したフィルムをいただいてわかったの。フィルムは今も家にあるけど、もう見られないじゃないかねえ」。このエピソードは実に興味深い。