いなか道の駅 やしまや(その2)
丸森耕野地区は、平地がほとんどない中山間地域。伊達政宗が伊賀の忍者を住まわせたという話があり、その頃からころ柿づくりが始まっていたようです。昔話に出てくるような、なだらかな山々が連なる土地は、田畑には適さない。そのため、手作業の特産品であるころ柿作りが発達したと考えられています。耕野は、柿がおいしく育つ地区であり、柿ばせ(柿を乾燥させる場所)としても理想的な環境だそうです。周囲の山々からくる澄んだ風を浴び、ちょうど良い温かさに包まれ、ときに雨が降って適度にしぐれる、こうした環境が美味しさをより熟成させるのでしょう。
柿の収穫は11月下旬から始まります。この頃になると耕野地区は「柿一色」の生活になります。近所の人とは「柿、なんどき(いまどう)?「まだ取り終わらなくてさあ」などの会話がなされる。11月半ばから12月初旬は、ほとんど毎日、皮むき、紐とおし、燻蒸。燻蒸は色をよくし、殺菌するためです。その後、柿ばせで干します。この期間は、柿の仕事で忙しいため夜の会話も一切なしだそうです。
八島さんの柿ばせでは、約3万個のころ柿が大切に干されています。きれいなオレンジ色の柿がきちんと並んでぶら下がっている様子はまさに圧巻です。店の軒先では紐を縦にして干されていますが、紐が食い込んで形が崩れてしまうのを防ぐため、ここでは横です。建物の構造も工夫されており、四方の扉で風の量を調節している。天井にはファンもあります。陽があたる場所は、黒い布をかけて紫外線を遮っていました。