ムサシが憂慮していること
あの東日本大震災から、間もなく6年を迎えようとしているとき、家族で気仙沼方面に行ってみました。その時の印象は、復興が進んでいるというより、人間の手により自然がつくり替えられているという感じがしました。山は切り崩され、平地は土盛りされて巨大な丘が出来上がっていました。現地に入ると、昔の面影は全くなく、国道を走っているのに懐かしい景色もあまり目に入ってきませんでした。率直に言って、「地元の皆さんが望んでいる町の復興とはこんな形ではないのでは?」という思いが脳裏をよぎりました。
地震や津波に強い町をつくりたいという願いはみな同じだと思います。しかし、大自然の中で何万年も暮らしてきた生物たちは、自然の絶妙なバランスに支えられて生きてきたことも厳然たる事実です。例えば、海と山の役割分担などは、誰が創ったというわけでもないのに、実に安定した力関係にあるように思われてなりません。今回の復興計画は、この精巧な自然のバランスを人間の手でつくり替えようとしているようにボクの目には映るのです。「海が怒ると山がなだめる」、「山が怒ると海がなだめる」。こうして、自然の摂理が保たれてきたのではないでしょうか。
先の東日本大震災では、海が怒ったため人間は大きな被害を受けました。ちょうどこの時期、この地域に根を下ろしていたボク達にはこの上ないショックでしたが、そう簡単には、海の恵みを捨てることもできません。それは歴史が証明していることで、基本的には海の近くにいつしか回帰することになるはずです。海が何時どれだけ怒り出すのか予測がつかない以上、これを人間の手で防ごうとするのは、まさに自然の手のひらの上で踊らされているような気がしてなりません。ましてや、「山を平地に、平地を山に」改造する営みは、山を怒らせる結果にならないか心配です。