瑞巌寺「平成の大修理」
瑞巌寺は、平成2008年に着手した大規模改修工事のうち、国宝の本堂の解体修理を終え、7年ぶりにこの春から公開が再開されました。明治(1900年)以来の大規模となった「平成の大修理」は、瓦や土壁、建具などを解体し、修復した上で組み立てる大掛かりな工事で、畳をすべて敷き直し、大屋根の5万枚ある瓦のうち約3万枚を葺き替えました。本堂全体を持ち上げ地盤の歪みをなおした上で改めて基礎工事を行い、壁には耐震補強を施しました。
伊達政宗が1600年から5年かけて完成させた建物が、400年余りの時を経て、現代の建築技術によって甦ったわけです。瑞巌寺の歴史は遠く平安時代に遡ります。開創以来、中途廃絶や荒廃の憂き目に遭いますが、そのたびに再建、復興され、現在の寺閣が造営されたのは慶長9年(1604年)から14年(1609年)にかけてのことで、伊達政宗が自ら縄張りを行なったと伝えられています。桃山様式の本堂、御成玄関、庫裡、回廊が国宝に、御成門、中門、太鼓塀が国の重要文化財に指定されています。
今回の解体に伴って本堂の遺構調査も行われ、瑞巌寺と同じ場所に円福寺が建っていたことや、本堂の部屋境の壁全てに筋違が施されている構造上の特徴も判明しました。また、規模も格式も東北随一、鎌倉・京都の五山に匹敵する屈指の大寺院であったことも解りました。修理の間、庫裡の大書院で特別公開されていた御本尊聖観世音菩薩像、藩祖政宗公と二代忠宗公の大位牌、法身禅師・雲居禅師・洞水禅師の木造などは元の場所に治められました。
天井の欄間は当時のままを今に伝え、襖絵は復元模写したものですが、絢爛豪華な桃山文化の粋を忠実に再現しています。本来あるべき姿に戻った瑞巌寺本堂。遠大な時の流れを包括してきた空間は、凛とした空気を宿しながら、さらなる時を刻み続けていくことでしょう。