石名坂の実相寺
忠臣蔵で有名な赤穂浪士47人のうちの一人である「赤坂吉右衛門」のお墓が仙台市泉区石名坂の「実相寺」にあります。赤穂浪士の47人といえば、高輪の泉岳寺に埋葬されていると思われがちですが、実は、そこには深い分けがあって、浪士が亡くなった後にこの地に辿りつき、40年後83歳でこの世を去り、実相寺に葬られたといことのようです。
赤穂浪士・吉田忠左衛門の部下で足軽であった吉右衛門は、打ち入り後、泉岳寺に引き上げる途中、大石内蔵助より国元の広島浅野本家に報告するよう命じられ、広島に向かったため、泉岳寺で同士全員が切腹したことを知ったのは、翌年江戸にもどってからで、ことの顛末を知り、幕府に自首したが、事件は決着したとして許されたというのである。
吉右衛門は、その後出家して理海慈宝の名で、同士の冥福を祈り諸国を行脚し、今の仙台市七北田の刑場にさしかかり、死刑者の供養をしようと、この地に庵を結び、近所の子どもたちに手習いの指導などをしてこの世を去った。死後、所持していた遺書や手紙、日記などから、赤穂浪士の一人であることがわかり、寺子屋の弟子たちがこの実相寺に墓を立てたというわけです。