小野小町の墓
平安時代の女流歌人で日本的美人として有名な小野小町は、都で華やかに暮らしていましたが、寄る年波には勝てず、晩年郷里の秋田に帰る途中、ここ新田夜鳥の里に差しかかったところ、にわかに病に倒れてしまいました。草庵を結んで氷室薬師に100日参りして病気平癒の願をかけましたが、大願成就を前にして精魂つき路傍に倒れ没してしまいました。
それを見た村人たちは、寂しい最期を遂げた小町をあわれんで手厚く葬り、墓碑を建立して菩提を弔ったという。また、後に都を追われた在原の業平によって、遺骨が見つけられたという説もあるなどもあり、小野小町の生涯については謎が多く、出生の地や死亡した場所などについては正確に把握されていないということです。
大崎市古川新田地内にあるこの墓も、今のところ真偽のほどは定かではありませんが、往時の風流人が小町の墓を立て、多くの人が墓参して歌を詠む習慣が近年まであったと伝えられています。「当時の古川地方の文芸的側面を物語る遺産とも考えられ、文化史的にも大変貴重なものである」というのが古川市教育委員会の見解です。