大崎八幡宮
伊達政宗の仙台入府とともに現在地に造営された大崎八幡宮は、元々は平安時代に坂上田村麻呂が旧水沢市に宇佐八幡宮を勧請したのが始まりとされています。その後の室町時代には、大崎地方を支配した大崎氏が田尻に遷宮して大崎八幡としましたが、大崎氏が滅亡した後に伊達政宗が岩出山城内に遷して祀ったとされています。
政宗は仙台城築城に当たり、乾(いぬい・北西)の護りとして大崎八幡宮を置き、合わせて伊達家が古くから信仰してきた米沢の成島八幡宮を合祀しました。社殿は、拝殿と本堂そしてそれらを繋ぐ石の間がひとつになっています。日光の東照宮の様式であることから権現づくりと言われますが、それよりも以前に造られた日本最古の権現造りの遺構です。
社殿は杮葺(こけらふき)の屋根で、正面の千鳥破風と軒唐破風を付けています。黒の漆を基調としていますが、長押の上は徹底的に鮮やかな極彩色の組物と彫刻、朱や金の垂木で飾られた桃山時代の特色が見られます。なかでも、左甚五郎のモデルとされる刑部左衛門国次の手による「にらみ猫」は、日光東照宮の「眠り猫」と同じ作風の名作です。