宮城県最古の内ケ崎酒造-その1
古い街道を挟んで、家々が軒を連ねている。街並みでひときわ目を引くのは、長い板塀とその板塀に守られているようにして佇む、重厚な建物。通りに面した表門には、造り酒屋の象徴ともいうべき酒林が吊るされ、『鳳陽酒造元 内ケ崎酒造店』と書かれた看板が誇らしげに掲げられている。宮城県最古の造り蔵、内ケ崎酒造店。この蔵の歴史は、富谷宿とともにある。富谷宿は、元和6年(1620年)、仙台藩祖伊達政宗公の命を受けた、内ケ崎織部によって開かれた。仙台から北へ奥州街道2番目の宿場町だ。開宿当時わずか13戸ほどだった町は、検断を任された織部の尽力により少しずつ発展してゆき、やがて様々な店が軒を連ねる賑やかな町になってゆく。
内ケ崎酒造は、内ケ崎織部を祖とする家柄で、当初は参勤交代のために江戸へ向かう大名や幕府役人が休泊する本陣を務めていたという。「酒造を始めたのは、内ケ崎家の二代目作右衛門です。寛文元年(1661年)のことでした。江戸時代後期には、仙台藩10代藩主伊達斉宗公から『初霜』『春霞』という酒銘を賜りました」。そう語るのは、この蔵の杜氏を務める内ケ崎啓さん。先代の南部杜氏の引退を機に杜氏を引き継ぎ、2018年から酒造りを行っている。国の代名詞ともなっている「鳳陽」という銘酒は、唐の故事「鳳陽」に由来する。家運隆盛を願って名づけられたという。
「パンフレット等で『宮城県内最古の造り蔵』と謳っていますが、意図的に古いものを残したいというよりは、あるものを大切に伝え継いできた結果が今の形につながっているのだと思います」と内ケ崎さん。この町とともに歴史を刻んできた蔵は、2021年、創業360年を迎える。内ケ崎さんに、蔵の中を案内していただいた。今期の仕込みが始まる前の人気のない蔵の中には、ほの暗く、静かで、凛とした冷気につつまれている。釜場、麹室、酛場、貯蔵蔵と見ていくが、「道具類を含めて代々受け継いできたものを大切に使っている」という内ケ崎さんの言葉通り、目につくものはすべて年季の入ったものばかりだ。