文人墨客に愛された街
塩竈は古今の文人墨客に愛され、その足跡も豊富。奈良・平安時代は歌枕の地として都人が憧れ、多くの和歌を残した。神社下の鹽竈海道には、その内の100首を選んだ「鹽竈百人一首」の全歌碑が、人工のせせらぎに沿って配置されている。途中の鹽竈神社の浦参道には、松尾芭蕉「止宿の地」でもある。芭蕉は「おくのほそ道」の旅で、仙台、多賀城を経て塩竈入りして一泊。
夜のにぎわいを感慨深く記し、後日は神社に参拝して源義経ゆかりの「文治の燈籠」などに感激し、小舟で松島に向かった。現代俳句の巨匠では佐藤鬼房(1910~2002年)が塩竈に住んで風土性と社会性あふれる句作を重ね、神社に近い自宅そばには、七つの句碑群からなる公園「鬼房の小径」が整備されている。また、あの宮沢賢治も中学時代の修学旅行で海路、初めて塩竈を訪れ、作品の中で塩竈を「シオーモ」と呼んだ。
地元の愛好家の間では、代表作「銀河鉄道の夜」も、登場する事件や物事が当時の塩竈をほうふつさせ、「作品のモチーフに取り入れられたのでは」との研究が盛んだ。こうした縁を記念し、塩釜港の桟橋沿いに文学散歩道「シオーモの小径」が造られた。宮沢賢治ははじめ、正岡子規、与謝野晶子、斎藤茂吉、北原白秋、若山牧水ら明治以降に訪れた著名な文学者の歌碑、句碑などが並び、海を見ながら楽しめる。完成ほどなく震災の津波で壊されたが、防潮堤工事に合わせて復旧された。