豪快なキンピラごぼう
数日前の夕飯のとき、テーブルに着いたオヤジは奇妙なものを見る目つきで、食卓の上にどっかりと胡坐をかいているデッカイ丼を見つめていた。よく見ると、その中身はきんぴらごぼうのようだったが、なんとなく箸が出ず、とりあえず他のおかずでご飯を食べ始めた。しばらくすると、ようやくそのキンピラごぼうとおぼしきものに手を伸ばして恐るおそる小皿に取り始めた。そのとき、「これはなに!」 とお母ちゃんに尋ねました。キンピラごぼうでしょう。とんかつに見えますか? と、きたものだから、いや、どう見たってとんかつには見えないが、カレーライスかと思った、と応戦した。するとお母ちゃん。時間をかけてこぼうを小さく刻み、タラコの良いのを見つけたものだから、一生懸命造ったのに、その苦労をねぎらうどころか、トンチンカンなことを云うオヤジに少し腹が立ったようです。我ながら愚問だったと反省したのか、オヤジはとりあえずキンピラごぼうを口運びながら、これはうまい。特にタラコの塩味が絶妙だね! などと、とってつけたようなお世辞を言い出した。そうでしょう、とお母ちゃん。
バトルはあっさりおさまったのですが、オヤジにはもう一つ気になることがありました。それは何かというと、それにしてもこんなに大きいドンブリに山のように盛られている理由がどうしてもガテンがいかなかったのでしょう。今度は無言で、丼の中段まで箸を突っ込んでみたところ、なんだか大きな塊に箸先が衝突しました。でも、まさか石ころが入っているわけでもないだろうし、第一意外と心地よい衝撃だったので、思わず取り出してみると、それは何と根ショウガのぶつ切りのようなタラコの塊だったのです。よくみると、キンピラごぼうの表面にも同類のものがゴロゴロと横たわっていました。大きな丼にしてある謎が解けたと同時に、あまりの豪快さに苦笑しながら、本格的にもりもり食べ始めました。その様子を見ていたお母ちゃんは、だって、めったに手に入らない良質で格安なタラコを思いがけずみかけたものだから、つい買い占めてしまったと本音をポロリ。お母ちゃんは、オヤジが黙って食べていると、どぉ? 美味しい? と重ねて聞く癖があります。そういうときは、間違ってもまずいとは言わせないという雰囲気があります。
オヤジは、黙って食べているときは美味しいときで、まずいと言うのは、耐えられないほどまずい時にだけ言うことにしています。お母ちゃんは、まだ、オヤジのこうした不文律には気がついていないと思いますが、ボクは知っています。と言っても、オヤジから聞いたわけではありません。そんなわけで、普段から食事のときには会話の少ないわが家ですが、"声を出さない会話"で盛り上がりました。それにしてもデッカイタラコでした。大きめのソーセージぐらいのやつがゴロゴロ入っているキンピラごぼうなど、この年になって初めて見た、と、オヤジは喜んでいたのです。何事によらず、小気味よいぐらいに豪快なお母ちゃんですが、でも、涙ぐましい努力をしていることをボクは知っています。例えば、オヤジが一円玉をもっていると、すかさずちょうだいと言いますし、新聞紙などもポイントに代えることを忘れません。「一円を粗末にする者は一円に泣く」ということをよく知っているからなのでしょう。そのお陰で、オヤジもボクも美味しいものを食べさせてもらっているわけですから、これを笑う資格はボクたちにはありません。