お母ちゃんの仕事術
わが家のお母ちゃんは、物事を合理的に考える人である。その理由は、独特の片付け方に見ることができる。例えば、わが家では、ガスストーブや扇風機などはほぼ1年中と言っていいほど同じ場所にある。それから冬用の掛布団は、夏が過ぎるくらいまで虫干しをしている、ちょっと息苦しく感じこともある。もとっも、それはオヤジの感想で、ボクは全くそうは思っていません。オヤジは、この布団いつ片づけるの? と聞くと、まだ寒い日があるかもしれないから、という。オヤジはなるほどそうかもしれないと思ったのか、それ以上深く追求しない。でも、やがて梅雨が明け、ミンミンセミも鳴きやみ、秋風が吹き始めるころになっても、布団はそのままというときもある。恐るおそるもう一度、同じことを聞いてみると、今度は、もうすぐ寒くなるからという...という。「それでは、この布団は一生片づけないのか?」と、言いたいところだろうが、オヤジはぐっと言葉を飲み込んで、お母ちゃんの合理的仕事術に敬服する(したふりをする)。ガスストーブも扇風機も当然同じ理由であるというわけだ。
そればかりではない。わが家では3㎝四方以上の平らなところは殆どない。たまに見かけたかと思うと、あっという間にそこの景色が変わってしまう。つまり、お母ちゃんがその小さな広場を見つけると、こんなところが空いていたといわんばかりに、何かをそこに置く。その技はまさに天才的である、とお母ちゃんは思っている節がある。しかし、オヤジの考えている「合理的」とは、お母ちゃんが見つけて何かを置いたものの下にあるものをだれかが取り出すとき、ワンタッチで取り出せるようにしておくことである。昔はこうではなかったと、オヤジは嘆くが、お母ちゃんは都合の悪いことは聞こえないふりをするのも実に上手だ。体力も気力も衰えてきたオヤジは、笑うしかないとあきらめているようだが、お母ちゃんはその顔を見て、自分の合理性を評価していると解釈している。そんなわけでわが家はお母ちゃんの思考にあったようにすべてがカスタマイズされ、残っているのは、オヤジのデスクだけ。ここもそう遠くない時機に、攻め落とされる覚悟を決めておかなければならないかも?
企業経営や政治の世界も、強いものが勝つのではなく、勝ったものが強いというのは今に始まったことではない。ではどういう人が勝のかとうと、それは環境の変化にうまく対応できた人です。今、日本ばかりではなく世界中が「コロナ」の恐怖におびえている。たいていの企業は売り上げの減少に苦しんでいるが、今の状態をチャンスと捉え、新しいビジネスを立ち上げて成功している人もいる。日頃、このことを強調しているオヤジが、何故お母ちゃんの主導で環境を作り替えられていることに異を唱えないのか? ひょっとするとその気力もなくなってしまっただろうか。いやいやそうではない。あの狸オヤジのことだ。ボクをからかっているのかもしれない。今オヤジが言っていることが本音だとすれば、何等かのアクションを起こしているはずだ。そう考えるとすべてのことが、逆に納得できる。つまり、オヤジはお母ちゃん色にカスタマイズされた合理性を受け入れ、楽しんでいるということなのだ。あたかも、すべてが気に入らないようにグズグズいうのはオヤジの悪い癖。寝心地の良いベッドで狸寝入りをしながら、寝言を言っているだけです。