いつまで続く耐乏生活
それにしても長いですね。え~何が長いかってこんなに長い春休みは、おそらく初めてではないでしょうか。オヤジのような一風変わった人でも、「これはちっと長すぎる。最初はここらで一服してもいいかなと思っていたが、こんなに長いと気がめいいってくる」とぼやいています。コロナウイルスを吸い込まないように呼吸をするのもつい遠慮がちになりますが、今度は新鮮な空気が不足してしまい、眠くなってしまいます。その副作用で爆食いするようになり、血圧やコレステロール、血糖値などが軒並み上昇してしまいます。そればかりではありません。あまり退屈なのでテレビをつけるとどの局もコロナ、コロナで、メインキャスターやコメンテーターも情報を伝えたり、解説するというよりも、コロナをもてあそんでいるのではないか、と八つ当たりしたくなります。このままの状態が長く続くと、餓死する人も出るかもしれません。そうなると、餓死するよりはコロナと戦って玉砕する方がいさぎよいなどと短気を起こす人も出て来ないとも限りません。少しこじつけに過ぎるかもしれませんが、これらは全て死につながる症状といえるでしょう。
さらに言えば、コロナウイルスは世界的に蔓延したのをきっかけに、国の態勢や政治家の思想、人々の暮らしぶりの一端が垣間見えてきました。まずわかったことは、コロナがなければ、みんな幸せそうに暮らしてはいるが、その実情はそれほど楽ではないようです。他の国のことは、テレビなどで断片的に見るだけなので、本当のことはわかりませんが、少なくとも、日本の場合は「板子一枚」の生活者が多いということです。戦後60年の間に高層ビルが建ち、高速道路や新幹線も整備され大変便利で、質の高い生活ができるようになりました。しかし、そこで暮らす国民の多くはその便利さについていくのが精いっぱいで、3日も仕事を休むと、黄色信号が点滅し始めるようなもろい生活基盤で暮らしている姿が垣間見えたような気がします。節約家で忍耐強い国民性からすると、生活力ももっと足腰が強く、こうした危機に面してもうろたえることのない体力を温存していてもおかしくないはずです。生活のために便利なツールとして開発された携帯電話があっという間にスマホに変わり、今や、これらのIT機器に振り回され、生活基盤が脆弱になっている。
もっとも、忘れることも幸せになる大事な要素であるのかもしれませんが、あまりにも過去の教訓が生かされていないような気がしてなりません。基本的人権を守るのは国の責任ですが、その国を守るのは私たち一人ひとりの国民ですから、普段やりたい放題の人がこうした有事にだけ権利を主張されても、備えが薄くなっていて当然です。私自身も含めて多くの人が貰うことが大好きな人間になってしまい、総理大臣がポケットマネーからお小遣いをくれると勘違いして、いつくれるの、なるべく早めにしてくれ! などと勝手なことを言ってしまう。政治家もまた、われわれに相関違いさせるような物言いであることも問題だと思います。例の国民全員に10万円をくばるはなしも、実は赤字国債を発行するということですから、東日本大震災の時の大盤振る舞いと仕掛けは全く同じで、結局、自分たちが返済することになるわけです。だとすると、今回の10万円を辞退したとしても払う義務が生じるのであるから、やせ我慢はしないで、一応有難くいただくことにしよう。相変わらずオヤジの話は回りくどいが、相棒としては一応賛成ということにしておこう。