仙台市青葉区 柏木界隈
現在の柏木一丁目は、かつての武家屋敷と職人の町の面影を伝える貴重な街だ。「前の通りは昔の奥州街道筋で、南へまっすぐ行けば芭蕉辻につきあたります」と話すのは、創業147年の歴史を持つ横山味噌醤油店・代表取締役の横山洋平さん。「この辺りは職人の町で、今でもこの通り沿いには畳屋さんが3軒もありますよ」と教えてくれる。仙台城下が最も繁栄を誇った元禄年間の城下絵図を見ると、北六番丁辺りから北側の奥州街道沿いは確かに「御職人」と書かれていた。白い壁と黒い瓦葺きのコントラストが美しい横山味噌醤油店の土蔵造りの店舗は、大正9年に建てられたもので、端正な印象は店内に入っても変わらない。時代と共に磨かれた空間には、そろばんの音がよく似合う。
この建物は貴重な建造物として、平成15年度に仙台市景観賞「歴史・文化部門」を受賞。維持するのは大変ではと尋ねると、「あるものを使っているだけです」と横山さんは穏やかに答えを返してくれた。店舗ばかりではない。北七番丁の角を西へ曲がると、白壁越しに大きな樹木、その向こうに工場や蔵が見え隠れする。この敷地一帯が、藩政時代の敷地割をそのまま残している。樹木は桜、松、欅、他に実のなる梅や柿など。昔はイチジクの木もあったそうで、仙台藩が推奨したという実のなる屋敷林の伝統を受け継いだ庭といえるだろう。通り沿いでは明治期の建物という畳店も見ることができる。また、自家製パンで人気のバーニャの家系も、江戸時代には左官職人だったそうで、かつての職人町が受け継がれていることがうかがい知れる。
奥州街道は明治以降も交通の要衝としては変わらず、横山味噌醤油店すぐそばのマルトミ製氷販売所は、大正時代に天然氷を運んでいた市街の小売店が、途中で寄って卸していったことから氷の販売が始まった。自分の店で製氷をはじめたのは昭和7年からで、「建物も氷造りも全く変わっていません」と店主の早坂元伸さんは語る。「うちが残っているのは仙台空襲を免れたからです」とも。その証拠が今も仙台市第二中学校近くに残っていた。片方の枝が空襲で焼け落ちたという五葉松。「この木のおかげでうちは助かったと母が言っていました」と教えてくれたのは、この土地に代々暮らす磯部さん。松の近くにある井戸も江戸時代からのもので、今も現役で使われていた。