亘理町の桜
北に阿武隈川が流れる亘理町には、100ヵ所近い遺跡があり、縄文時代からの人々の営みが連綿と続いてきたことが伺われる。桜の名所も多く、その一つが「尊久老稲荷神社の種まき桜」。高台にある1200年の歴史を持つ神社には、高さ17mのエドヒガンが凛と立つ。平安時代の創建と伝わる神社は、戊辰戦争の際、亘理伊達家家臣団がこの社殿の前に集合し、必勝祈願して出陣した歴史を持つ。亘理伊達家初代領主、伊達成実は伊達政宗の片腕といわれ、亘理伊達家は仙台藩最大の知行を領していた。
亘理の桜ぐりは、こうした歴史を巡ることになる。伊達成実霊屋と歴代亘理領主伊達氏及び夫人の墓所がある大雄寺の桜、称名寺のシダレザクラ、また、戊辰戦争で仙台藩が敗れ、第14代当主邦成以下、家中2800名が北海道へと移住した後、亘理の人々が初代成実を祭神して建立した亘理神社にも、緑の杜に桜が淡い色を添える。なかでも、尊久老稲荷神社の種まき桜は、百人一首の詠み人として知られる小野篁(おののたかむら)が陸奥国司として入る際、道案内した黒狐を祀って祠を建てたのが神社の桜の始まりと云われる。
その時の名称は「総黒稲荷」で、江戸時代になってから亘理藩主となった伊達成実により「尊久老稲荷神社」と改められた。かなりの樹齢と思われるが、花芽は見事。早朝、立派なエドヒガンは満月を背に香り立つように咲きほこる。また、戊辰戦争で西軍と降伏の調印が行われたのも、この場所だった。桜の名所は内陸部に多い。東日本大震災前は海側にも桜が点在していたという。「阿武隈川の河口の土手沿いには200本ぐらいの桜の並木がありましたね」と、亘理荒浜で被災した「旬魚・鮨の店 あら浜」の塚部慶人統括店長が懐かしそうに話してくれた。