都合の良い言葉「お騒がせしてすみません」
最近よく耳にする「お騒がせしてすみません」という政治家の言葉に違和感を覚えます。本当に謝罪する気持ちがあるのであれば、「騒がせた」ではなく、どんな過ちを犯し、それが誰にどんな迷惑をかけたかについて謝るべきなのではないでしょうか。「騒がせた」というからには、「騒いだ人」がいるわけですが、国民が騒ぐのは、オリンピックやワールドカップでメダルを取った時も大騒ぎになります。この場合は、「お騒がせしてすみません」などとは誰も言いません。言葉は丁寧でも、本当に謝罪する気がなく、一応謝っておくのが保身のために必要だからという下心が透けて見えて見苦しい。
黄門様の印籠でもあるまいし、「お騒がせしてすみません」を連発すれば、みんなが納得すると思っているのであれば、あまりにも国民を愚弄している。国会議員はもとより、地方議員であっても、選挙により選ばれた以上、有権者の信頼に応える義務があるはずで、自身の身の処し方はフリーハンドで決められるものではないように思います。広辞苑によれば「倫」とは、人として守るべきみち。道理、仲間、たぐい。また「不倫」とは、人倫にはずれること、道徳にそむくこと、とある。我々が罪を犯せば、法律によって刑罰が科せられるのに、法律を作る側の人が、道徳に背いても何のお咎めもないのはおかしい。また、責任を取るのは仲間に対してではなく、有権者に対してであることもお忘れなく。
ボクたちも、人間社会で生きていくために、道徳は守らなければならないと思っています。法律の条文は専門家でなければわからないのは仕方がないことですが、「道徳」は法律のおおもとになっていることぐらいは理解できます。しかし、法律に反していることは道徳にも反しているのに、道徳に反していることで法律に反していないことはいっぱいあります。例えば、「ゴミ屋敷の問題」「騒音の問題」などの迷惑行為は、反社会的で道徳に反する行為なのに、これを規制する法律がないので、やりたい放題でも公的権力によって排除されたり、逮捕されることがないのが現実です。それだけに、政治家は道徳に背くことの罪の重さを、身をもって示すべきではないでしょうか。