200年前に世界一周した宮城県人(その6)
残留する者たちは年間50ルーブルの年金が支給されることが決まり、兵役も免除されました。新暦の8月20日、ナジェージダ号はコペンハーゲンに寄港する。世界周航の話を聞きつけた自然科学者3人がこの地で乗船を申し出ました。若宮丸漂流民のうち、一番若い多十郎は市内を見学しています。船は大西洋に出て10月にはアメリカのカナリア諸島で飲料水や食料を補給します。
多十郎はここでも上陸した。その後、船は陸地の見えない太平洋を航行するようになりした。やがて赤道を通過し,津太夫たちは一つ星(北極星)が見えなくなったことに気がついた。12月、ブラジルのサンタカタリナ港に入る。ここでは6週間滞在し、多十郎と津太夫は上陸して見聞を広めた。ブラジルに上陸した最初の日本人として、日伯友好の歴史にその名を残した。
船は、その後南極に入り、津太夫たちは北極圏と南極圏に足を踏み入れた最初の日本人となった。現代においても稀有なことであるのに、江戸時代においてはなおのことであった。後に津太夫の記録を著した大槻玄沢も、「両極を極めしは未曽有なる奇中の奇」と驚きを隠せなかった。航行中、帰国組と善六とは度々激しく口論したらしい。年長の津太夫を除く3人は、レザノフの寵愛を受ける善六に反感を抱き、罵っていたと船長のクルーゼンシュテルンは語った。