わが家の復興も道なかば
昭和35年頃のことだったと思うのですが、日本は、戦争の災禍から立ち直るため、全ての国民が復興に向けてまい進してきました。その甲斐あって昭和39年にはオリンピック東京大会が開催さることになり、東海道新幹線の開業もまぢかに迫っていました。「もはや戦後ではない」という言葉が経済白書に登場したのも、確かこの頃だったと記憶しています。
こうしてみると、規模の大小には違いがあるものの、私たちが暮らす宮城県の復興にも、かなりの長い時間が必要なように思われます。被災地の現状を見ると、やっと瓦礫がかたづいたばかりで、復興住宅の建設などは未だ手つかずのところも多く見られます。一日も早い復興を願いつつも、これからの曲折も覚悟しなければならないというのが現実です。
最近のわが家は、平穏を取り戻してはいますが、ブロック塀の修復などがまだ残っています。そして、一階と二階の窓ガラスも、ムサシのゴーサインが未だに出ないため、まだそのままにしています。少しみっともないような気がしますが、先日のような揺れを感じると、やはり、わが家の復興も道なかばであることを実感し、気長に構えることにしました。