栄存神社(その2)
栄存法印が日夜祈祷し続けたという「物見石」は今も江の島に残っています。栄存法印は、この石に座り、手を広げ両手10本の指に百目ローソクをともして、呪いの祈祷を続け、石巻の湊の方に向け「ふう」と息を吹きかけると湊地区一帯が大火に見舞われたという伝説もあります。また、栄存にあらぬ濡れ衣を着せた笹町家の血縁は、栄存が亡くなってから完全に途絶えたということです。
笹町家の墓石は、石巻市湊「知恩院」の境内に倒れたままで、いくら起こしても倒れてしまうことから「倒れ墓」と言われています。栄存のただ一人の見方といわれる「高橋太治右衛門」の家は、何度かの大火にも焼け残り、江ノ島でも栄存法印に護られ火災がなく万一火災が起きても火元で終わり、延焼したことがないということです。
栄存法印の冤罪は死後50年目にしてようやく晴らされ、栄存の遺骨は江ノ島から牧山に分骨改葬され、石巻市湊牧山に墓が立てられました。その後、寛永7年(1854年)に雨屋も建立され、昭和5年の250年忌大祭にあたり、「栄存神社」が建立され、昭和55年の300年大祭に際して拝殿を増築しました。一方、江ノ島の「栄存神社」は、昭和5年没後250年祭にあたり社殿が建立され、300年祭には参道が島民の浄財により完成しました。