大いなる誤解
わが家のオヤジは折に触れて、「孫子の兵法」や「ゲーム理論」なる本をめくっている。これらの本は、相手と戦って勝つための戦略について書かれているので、「誰を相手に」「何処で」「何を武器に」戦ったら勝てるかのヒントを探しているわけです。つまり、相談者である経営者がどのような市場で、どういう経営戦略を立て実行すれば、業況が上向くのかを模索しているのです。ただ、ここでいう「相手」とは、競争相手(同業者)だけを指しているわけではなく、販売先(消費者)も含まれているというのです。ちょっち意外な感じがするので、オヤジに聞いてみたところ、次のような答えが返ってきました。なるほど、消費者は商品やサービスを買ってくださる、いわば一番の味方であり、競争相手ではありません。しかし、お客様は、自社の商品やサービスを購買するかどうか決定するまでには、経済的合理性やそれぞれの価値観による満足度その他を総合して比較考量するという葛藤があるはずです。ということは、競争相手に勝つだけではなく、お客様の心の葛藤にも勝たなければならないということになるというのです。
上にあげた「孫子の兵法」や「ゲーム理論」などは、主に直接の競争相手である企業との競争に勝つための戦い方を指南しているようにみえるが、本当は、無益な戦いを避けて、共存するための、いわば"引き分け"の理論なのだそうです。すなわち、ある企業が相手の戦略を凌駕し、一人勝ちすれば、消費者が損失をこうむります(高価格での購買を強いられる)。また、一人勝ちした企業は後に大きなしっぺ返しがくる恐れがあります(消費者からも、同業者からも恨みを買うため)。オヤジは、何が言いたいかというと、誰かを犠牲にして作り上げた楼閣は、長続きしないので一定のルールを尊重しながら、波風のない(あるいは少ない)状態を保つのが戦略の極意であるということらしいのです。正しこの場合、一定のルールというものがないことが多いので、利害関係者の利得を十分に考慮した手製のルールを、時間をかけて練り上げ、提示すことになる。オヤジは、これが一番難しいが、遣り甲斐のある仕事でもあるといいます。戦術、戦略という言葉は、戦争をイメージするため、血なまぐさく感じますが、本当は平和な社会を築くための手段なのです。
話は変わりますが先日、日本の岸田総理大臣がウクライナを訪問し、ゼレンスキー大統領と会談した際、総理の出身地広島の観光地・厳島神社の「しゃもじ」をお土産に持参したということですが、このことに対して、ウクライナの現状に相応しくないお土産であるという意見が野党側から出たとテレビや新聞で報じられました。確かに、大砲や機関銃の弾が飛び交う戦争の最中であることを考えると、戦勝祈願のようにも見える「しゃもじ」は戦争をあおるようで相応しくないと感じたのかもしれませんが、厳島神社の「しゃもじ」は、前述の話のように、相手を打ち負かすというよりも「一日も早くウクライナの国民が平和な日々を取り戻してほしい」という願い込めて持参したものであると考えて、むしろ、総理の行動を後押しする姿勢を示した方が野党の皆さんの懐の深さが垣間見られ、国民の支持率も上がるように思います。人はどう考え、どう表現するかは自由ですが、今後控えている国際連合・非常任理事国入りやG7サミット議長国など、国際的に重要な役割を担う日本の姿勢を国際社会に対して示す好機を逃すべきではないと思うのですが。