人を見て法を説け
「人を見て法を説け」とは、相手の性格や時と場所、その他の環境を読み込んだ上で、その人に最もふさわしい方法を説得するという対応をしなければならないという教えです。この言葉は、お釈迦様が仏法を説くとき、それぞれの人に応じた方法で説法したという故事によるものだそうです。オヤジが今、相談者に対してお釈迦様のような対応をしているかどうかはわかりませんが、本当の意味で相談者の利益になる方法を見つけ出すことを心掛けている姿勢はうかがえます。そもそも、今の仕事を傷害の仕事として選んだのは、お母ちゃんが強力に背中を押してくれたことによるものですが、本当はオヤジ自身が心から望んでいたことでもあったからだそうです。ところが、いざ相談を受けるとなると、ほとんどが資金繰りの話だったという。具体的には、金融機関からお金を借りたいのだが、今の状態では無理だと断られた。何とかならないだろうかというものでした。お釈迦様の教えに従えば、相談者のおかれている状況を考えれば、借り入れの申し込み先である金融機関が納得する「経営改善計画書」を作成することが唯一の解決策となる。
しかし、オヤジはそのような対応はとらなかった。なぜなら、今のような経営状態に陥ったのは、「どうしてだと思うか? 」「資金繰りさえ解決すれば安定した経営が確立できるのか?」をまず相談者に聞いてみる。すると、「資金繰りさえできれば、あとは何とかなる」というのが、大方の相談者(経営者)の答えであった。経営者にしてみれば、「あんたにそんなことまで言いたくない」「今日の相談はお金を借りる方法についてである」という表情が伺われる。つまり、相談者にとって、いいコンサルタントとは、使いがっのいい金融制度(助成金・無担保融資など)、金融機関に通りのよい「経営計画書」を策定してもらうことが唯一の相談内容なのである。オヤジの対応は本当にいらぬおせっかいなのでしょうか。ボクも確かに初めのころはそう思ったこともありました。しかし、よく考えてみると、お釈迦様の教えも、ここまで含めてのものだったと気づきました。なぜなら、金融機関にとっても、融資先である企業が健全になることが最終目的であるはずだから、この場合の相手とは、直接の相談者だけではないということに気づきました。
しかし、どうしてこのような経営状態になったかの正直な説明をする経営者は、ほとんどなく、「資金繰りがタイトらなったから」「売掛金の回収ができないから」「社員の能力不足」など、環境の悪化を滔々と説明するばかりで、経営者自身の経営責任についての説明はほとんど口にしない。なるほど、聞きようによっては、「顧客、金融機関、仕入先」などに大きな問題があったと解釈できないこともない。事実、不況により倒産の危機に陥った企業を救済する国や地方自治体の救済策は、とにかく、倒産を避けるため緊急に助成金制度や制度融資を用意して、倒産防止を呼びかける。国や地方自治体の立場からすれば、企業が倒産すれば、経営者自身ばかりではなく、従業員の生活も守らなければならないので、当然の措置ともいえるが、その結果が多額の赤字国債の発行という形で、つけが回ってきていることを考えれば、"人を見て法を説いたことにはならない"と言えるのではないか。このように考えると、返済できる可能性の高い融資の実行を後押しすることは、本当の意味での企業再生にならないのではないかと思うのです。