否定的に肯定する人の心理
オヤジは歳のせいか、つまらないことをこぼすようになった。今日も今日とて、お母ちゃんに「涼しい朝のうちに、窓を開けた方がいいよね!」というと、お母ちゃんは、案の定、「いや、朝のうちは涼しいから、空気を入れ替えるため窓を開けた方がいい」と言いました。オヤジにしてみれば、「うん」とか「そうして」「もちろん」とかいえば済むことなのに、わざわざ、オヤジの意見を否定しておいてから、「窓を開ける」というのが気に入らないらしい。理屈から言えばオヤジの言う通りなのですが、お母ちゃんは悪気があってのことではないのです。あることが脳に浮かんだり、何らかのヒントが与えられると、条件反射的に自分の意見や見識を自分で言葉にしないと気が済まない人なのです。その証拠に、出かけたときにある場所にさしかかると、そこにまつわる話を延々としゃべりだす。それがまた懇切丁寧で、途中を端折ることなく続ける。これなどは、その場所の風景が目に入るという視覚的な刺激により話のスイッチが入るわけです。はやい話が、五感に対するタイムリーな刺激があれば、脳の中にあるステレオのスイッチがオンになるだけなのです。
そんなお母ちゃんの特技は先刻承知のはずのオヤジが、うじうじとボクにこぼすのは変な話ですが、これもまたお馴染みのステレオタイプの話なのです。ボクが思うには、オヤジは退屈になると、他人の心理を分析するくせがあります。つまり、いまお母ちゃんに「こう声をかけたら、こんな返事が返ってくる」と予測して楽しんでいるのです。予想通りの返事が返ってきたとき、たぶんオヤジは心の中でにんまり笑いながら、ボクにこぼしていることに気がつきました。ですから、このような悪趣味には付き合わないことにしています。でも、よく考えてみると、お母ちゃんも、オヤジの心理を読み込んで、敢えてステレオのスイッチをオンにしたふりをしているのかもしれません。そこまで演技できるのであれば、ボクも少しは見習った方がよいのかもしれないと思い始めたところです。しかし、その日の夜は何故か上機嫌で、まるでクイズで高得点でもあげたときのようで、布団に入ったときも上機嫌でボクにあれこれ話しかけてきました。翌朝はいつもより早めに目が覚めたらしいのですが、積極的に家事を手伝う様子はありませんでした。
すると、それを見ていたお母ちゃん。特にオヤジに文句を言うでなし、むしろ、手際よく自分のペースでルーティーンをこなしていました。そうです。お母ちゃんもオヤジも、自分のゾーン入ったら、自分のスタイルで家事や他の仕事をイメージ通りにすすめ、完璧にこなすことで充実感を覚えるタイプなのです。ですから、たまたまオヤジが、いつもお母ちゃんがやっている家事を手伝おうとするのは、有難迷惑なこともあるのでしょう。こういうときに出るのが、「否定的に肯定する」という禁足技なのです。特に昨日のように「あれもしなければならない、これもしなければならない」という状況の中で、自分の世界に入り込まれると、相手がどんなことを言っているのかが全く耳に入らず、雑音を制するかのように「それはだめだから、それでよい」というように、相手の言うことはろくでもないことに違いないという前提で、自分の正論をぶちまける。でも心配ありません。世のおばちゃん族にはこのタイプの人が多いようで、傍で聞いているとハラハラすることもありますが、全然大丈夫。なぜなら相手もこちらの話を聴いていないのですから。