街頭演説中の市長候補者に向かって、あんただれ?
だいぶ前の話で恐縮ですが、オヤジが何かの都合で朝の散歩ができなかったので、お母ちゃんとボクで早朝散歩に出かけたときのことです。JR本塩釜駅前の広場付近にボクたちが通りかかったとき、人通りが殆どないのに一所懸命演説をしている男性がいました。お母ちゃんはその姿を見て、思わず、「あんただれ!」と声をかけました。すると、その男性、少しも慌てず、こういうものです、と市長選挙候補者〇〇と書かれたたすきを指差しました。たすきを見ればすぐに気がついたはずなのに、声の方が先に出てしまったのはいかにもお母ちゃんらしいところですが、まったく動揺した様子もない冷静なリアクションはさすがだと感じました。お母ちゃんは、その場を立ち去った後、一人で笑い転げていたことを覚えています。今朝、何かの拍子にオヤジとお母ちゃんがこの話をしていたのです。この話になった発端は、洗面所の電灯をつけておきますか? とオヤジがお母ちゃんに尋ねると、例によって、"だめ! つけておいて"といったのです。するとオヤジ、お母さんの話は、「否定的肯定」だね! といったのです。
するとお母ちゃん。それはどういう意味ですか、と聞き返した。オヤジが言うには、「私が電灯をつけておきますか?」と聞いたのだから、「そうしてください」と言えばいいものを、わざわざ、「ダメ!」とまず初めに言っておいて、そのあとで「つけておいて」というのはおかしい。お母ちゃんのこういう言い方はいつものことなので、普段は気にも留めないのですが、いつもより強い口調だったためか、こんなやりとりになってしまったようです。もちろん世の中には「否定的肯定」などとい意味不明の言葉があるわけではないのですが、オヤジのやることはいつも間違っているに違いないという先入観からか、人の話を聞く前に、とりあえず「否定しておく」そして、自分の言葉で「正しく言い直す」という一種の潜在的な支配願望がそう言わせている、というのがオヤジの分析である。ボクには、そんな難しいことはどうでもいいことです。要するに、お母ちゃんは人の話をよくきかない「おっちょこちょい」なだけです。第一、お母ちゃんがオヤジを支配してどんなメリットあるのでしょう。
もっとも、オヤジだって本気でそう思っているはずがなく、さざ波を立ててよどみがちな空気を少し動かして、新鮮な空気を入れ替えようというほんの遊び心の表われです。ですから、はた目には、険悪に見えるような言葉の応酬でも、笑い話になってしまうのです。現に今日も、お母ちゃんは、その話面白いから、今日の「わが家のムサシ」に書いたらどう? と、オヤジをそそのかしています。オヤジもオヤジで、そんなことを書いたら、お母ちゃんの名誉にかかわるのでは? というと、お母ちゃん。そんなこと全く気にしません。私は四角い紙(お金)さえあれば、何でもいいんですときっぱり。お母ちゃんの名誉のために一言だけ言わせていただくと、お母ちゃんは確かに、お金は大好きです。しかし、それは自分ためではなく、他人のために使うお金なのです。マスクやティシュ、歯磨き粉等々を大量に購入するのも、いざというときの備えで、自分ためではないのです。そうそう、ボクに供えてくれるリンゴだって常に新鮮なもの。その点オヤジは、必要なものをその都度少しずつ購入します。ボクに言わせればどちらも正解です。