その話、今でないとだめですか?
カップ麺のコマーシャルでお馴染みの「その話、今でないとだめですか?」というフレーズが時々頭の中を行き来している。それは、あのコマーシャルが面白いからなのでしょうが、それだけの理由ならそろそろ飽きが来てもおかしくないはずなのに、何故か新鮮に聞こえることもあるから不思議です。ただ一つ思い当たることは、オヤジが時々この言葉を使ってテレビの画面と話していることでしょうか。例えば、コロナウイルスが蔓延しているというのに、誰かがサクラの木の下で写真を撮っているのはけしからんとか、テレビ出演したどこかの知事が、他のコメンテーターに全く喋る機会を与えず、持論を一方的にぶちまける等々。もっともこういう人はどこにでも居るし、今に始まったことではないかもしれません。しかし、視聴者がいま最も興味をもっていることを話してもらいたいのに、枝葉末節な話を長々と喋りまくるのはいただけないように思います。オヤジのぼやきには、とりあえず賛同しますが、お母ちゃんとオヤジの話も似たようなもので、人のことを云えた義理ではないのですが、八つ当たりすることでストレスを解消しているのでしょう。
でも、よく考えてみると、誰かが言い出さないと物事は動かないという面は確かにあります。コロナの影響で休校を余儀なくされている子供たちの話から、いっそのこと、今の4月入学制度を9月にしてしまうという議論もその一つ。欧米の大学との交流をしやすくするためにも9月入学が望ましいという意見は以前からあった。しかし、特に合理的な理由もないのに、誰かの都合で新学期を4月にすることが決まり定着すると、既得権のようなものが生まれ、主役である子供たちの都合は後回しになってしまう。新学期が4月になった理由は、教育上の問題ではなく、会計年度に合わせるためというお金の問題が大きな理由であった。議論を二分している理由は一々もっともである。賛成派が掲げるメリットとしては、感染リスクを冒して学校を再開しなくてもよい。中途半端になっている学習を取り戻せる。甲子園大会などの行事をあらためて行うことができる。夏休みを確保できる。海外入学がしやすくなる。また、親の都合から言っても、コロナを家庭に持ちこむ危険が減少する。遅れた学習を取り戻せる。
一方、当然デメリットもある。その主なものは、卒業が遅くなる。学力差が広がる可能性があるなどである。どちらが正しいかという問題ではないだけに、これまで議題には度々上がっていたが、それこそ、「その話、今でないとだめですか?」ということになり、その時々の最優先課題ではないという理由で、あとまわしにされてきたように思われます。それがいま、コロナを追い風にして、「今でないとダメ」ではないが「今でないとやれない」とばかりに議論が持ち上がっている。日本人は、少し分が悪くなると情緒的な側面が顔を出し、「卒業や入学」は桜の咲くころに決まっているなどという意見も結構捨てがたい。世界の百数十か国が9月は入学制であるということを思えば、それがグローバル・スタンダードなのかもしれませんが、コロナの問題とリンクさせるのは、あまりにもご都合主義で唐突のような気がしないでもない。コロナに追われて、逃げ延びた先にちょうど学校があったというのでは、肝心の子供たちにとっては納得しづらいような気がします。"忙中閑あり"のような対応では、次代を担う子供たちに顔向けができません。