経済活動をやめますか?それとも...
いま世界中で大流行している新型コロナウイルス。ワクチンが開発されていない現状では、感染者をなるべく出さないようにするのが人間だけでなくボクたちにできる精一杯の防御策です。そのために出された「緊急事態宣言」には、誰もが納得しているところでしょう。しかし、当初は5月6日のゴールデンウィーク終了日までということでしたが、さらにこれが1ヵ月程度延長されるとなると、些かうんざりするというもの正直なところです。人間はこうした状況に立たされたとき、「人の命は海よりも深い」という考え方を基準に物事を判断する。しかし一方では、「フグは食いたし命は惜しい」「ヘボ将棋、王より飛車をかわいがり」などと、本音をのぞかせる。これらは、ちゃかしているようにもみえるが、時にはそういうこともあるのでないかということを吐露しているとも考えられる。今回の緊急事態宣言も、「命あってのものだね」という根拠に基づいて出されたと思われますが、どんな時でもみんなが同じ価値観で行動しているわけではない。世の中には、命を削りながら毎日を過ごしている人も大勢いることも知っておくべきだと思うのです。
もっとも、そういう人たちも、結局は人の命大切さを誰よりも感じているからこそ、自分の命を懸けているわけですから、決して自分の命を粗末にしているわけではないでしょう。ですから、命を守るためには、どんな犠牲もやむを得ないという考え方、特に、経済活動は、命を守るためには自粛もしくは停止するのは当然というのは大義名分とは言い難い。そもそも、経済活動だって命を守ることに貢献する活動です。今のような国の姿勢では、「経済稼働をやめますか? それとも人間やめますか?」という難問を突き付けられているようなものです。だいぶ古い話ですが、食べ物に使われている「チクロ」という物質がガンの発症を誘引するという研究結果が発表され、チクロの使用が禁止になったことがあった。その時、それを使用していた食品加工業者は、チクロを食べても必ずガンになるは限らないし、もしそうなるとしても何年か先のことである。だが食べ物を食べなければ数日で命を失うことになる。どちらを優先するかという極論を口にする事業者もいたそうです。物事は必ずしも論理的な根拠だけで決めるわけにはいかないようです。
例えば、覚醒剤などを使用するのも、大切な命を守るという意味ではタブーであることは誰でも認識しています。しかし、何らかの事情でそれを常用するようになると、もはや歯止めが効かなくなる。第三者から見れば、「なんて馬鹿なことを」とか「意志が弱い」などと非難するが、もしかすると誰もが持っている人間の弱さなのかもしれない。その証拠というほど根拠のある話ではあれませんが、罪を犯した人は、まちがいなく「犯罪人」というレッテルを張られるが、罪を犯しそうな人は「普通の人」です。さらに言えば罪を犯しても逮捕されなければやはり「普通の人」、逮捕されても裁判で無罪になれば、これも「普通の人」なのです。つまり、善良な市民にカウントされる人には、こうした危うい人が多数含まれているわけです。こうした不特定多数の人が軒を並べて生活している社会に向かって、命を守るという何よりも大事なこと、という正義をかざして、"ステイホーム"と呼び掛けてもあまり効果がないのは当然かもしれない。この号令があまり心に響かないのも、もとはと言えば、経済というもう一つの柱が傾いているからだともいえそうですね。