ならぬつもりが...
ふるい話で恐縮ですが、歌手:千昌夫の「望郷酒場」という歌に、「親爺見たいなよう~酒飲みなどに、ならぬつもりがなっていた」という歌詞があります。わが家のオヤジも、昔はあんなに他人のミスを笑っていたのに、最近は、自分がかけているメガネをひょいと額に移動して細かい字を見ていたかと思うと、しばらくすると、お母さん私のメガネどこへ行ったか知らないか? と言いだす。当然お母ちゃんは、頭の上にあるでしょう。まったくもうボケたんじゃないの! とやられる。するとオヤジ。「ボケてんねや! 全く往生しますせぃ。チッチキチィ」と、漫才のセリフで照れ隠しをします。ボクには、自分が掛けているメガネを忘れることのドジさ加減より、とっさに返すセリフの見事さの方が優っているようで、思わず苦笑いしてしまいます。こうした勘違いは誰にでもあり、年齢にはあまり関係ないように思います。オヤジの名誉のために言っておきますが、どちらかというと、こうした勘違いはお母ちゃんの方が多いように思います。だからと言って、お母ちゃんがボケてるなんて思っているわけではありません。
ヒトはみな、多くのことをいっぺんに片づけようとすると、どうしてもこうしたケアレスミステークをしてしまうのではないでしょうか。つまり、気持の要求に本来の機能がついていけなくなっただけで、頭を冷やせばすぐに解決することです。ボクが心配しているのは、「ボケてる」なんていう言葉を頻発していると、本当にボケてると本人がその気になり、本当にボケてしまうのではないかということです。スポーツ選手なども、褒められながら指導を受けている方が育っているような気がします。一説によると、褒めるべきところがあるから褒めるのであって、何のとりえもないものを褒めるわけにはいかない、という人もいます。しかし、褒めるところない人などいるはずがありません。もしも、そういう指導者がいるとすれば、褒めるべきところを見る目がないだけだと思います。人間に限らず、ネガティブな指向に陥ったときには、どうしても持てる能力を発揮できないが、ポジティブ指向の時には、困難な状況の中でもそれを克服しようという力が湧いてきて、チャレンジしようと思うものです。そのときの小さな成功体験が大きな力となり、さらに大きな壁に立ち向かう勇気がわいてくるのではないでしょうか。
お母ちゃん! 自分の頭にかけたメガネを忘れたぐらいで、ポケモン扱いしないでください。オヤジは照れ笑いをしているが、もしかしたらと悩み始めているかもしれません。しかし、褒めてあげると、まだまだ育つ素質がたくさんあります。現に、相談者が現れると、どんなに難しい内容でも「決して断らない」という姿勢は昔のままです。償却済みの機械だって、倉庫の中にほおり込んでしまえば、そのまま朽ち果ててしまいますが、だましだまし使えばもう一働きするものです。オヤジが元気で働くのはお母ちゃんも大賛成のはずです。なにより、長方形の紙が入ってくるわけですから、そのマシンを褒めるぐらいは朝飯前でしょう。朝食を食べた後に、「ご飯はまだか!」といったり、「靴を履いてから、靴下をはく」というようなことになったら、ボクがドクターストップしますから心配いりません。法を犯して辞職を迫られているのに、「国のために働きたい」などちとトンチンカンなことを云っているどこかの議員さんよりよほど益しです。お母ちゃん! 試しに明日の朝、何でもいいから褒めてみてください。そうしたら、オヤジは張り切って、朝食を作るかもしれませんよ! ただし、「醤油はどこ」「卵は」「お皿は」などと聞かれて、お母ちゃんは自分の仕事ができなくなり、かえって仕事が増えるかもしれませんが。