愛宕神社
仙台市の都心から少し南に位置する愛宕山。その山頂に鎮座するのが仙台総鎮守、愛宕神社です。長い石段を登る足を止めて後ろを振り返ると眼下には広瀬川、そして仙台の街並みが一望できます。慶長8年(1603年)、仙台初代藩主伊達政宗の千代城(後の仙台城)入城と同時に造営されたこの神社。これはもともと伊達家の本拠地であった米沢に鎮座していたものを岩出山、仙台と政宗の転封とともに遷座したもので、政宗がどれだけ愛宕神社の神様を信仰していたかが伺えます。愛宕神社の御祀神はカグツチといい、火の神様です。古事記によれば父イザナギノミコト、母イザナミノミコトの間に生まれたものの、火の神様であるが故に出産に際し母に火傷を負わせて死なせてしまったのです。しかもそれを嘆き悲しんだ父に切り殺されてしまう...。母を死なせて、なんと可哀そうな神様でしょう。
ですが日本の神様はとても優しく「自分のように火の災いで悲しむ人がいないように」と、今では火難除けの神様として私たちを守ってくれているのです。なぜ、そんな火難除けの神様を戦国武将である政宗が信仰していたのでしょう? 実は当時は神様と仏様が融合していた時代だったんです。この考えは平安時代から続いていたので、今のように神様様と仏様を明確に分けた明治以降の考え方が歴史的には浅いということになります。そして当時は、本地垂迹(ほんちすいじゃく)といって、神様は仏様がこの世に姿を現した化身という考え方でした。そして、火の神様カグツチは勝軍地蔵の化身だとしたので、多くの将軍にとっては武運の神様としての御伸徳も持っていたわけです。
伊達家の重臣であった片倉小十郎景綱の長子重綱も家臣の兜の前立に「愛宕山大権現守護所」の護符を差し挟み、大阪の役の戦陣に立ち、勇猛に戦ったと伝えられています。奇しくも政宗が、慶長出羽合戦で戦いを繰り広げたライバル上杉景勝。その重臣でありNHKの大河ドラマ「天地人」(2009年放映)でも有名な直江兼続の兜の前立にも同じ愛宕権現からとられたといわれる「愛」の文字があらわれていたことを考えると、ライバル同士が同じ愛宕権現を信仰していた。こういう見方も面白いものです。火難除けの神様としても、そして日々の会社での戦いに勝ち抜く武運の神様としても、仙台に住む人たちを温かく見守ってくれている愛宕神社の神様に、これまでの感謝と一年の幸せを願って、参拝に訪れては如何でしょう。