竹駒神社
岩沼の中心部に鎮座する竹駒神社は宮城県内でも一・二を争う初詣客が訪れる神社として有名です。竹駒神社は842年に京都の伏見稲荷大社を勧請して創建されたのが始まり。当時は、武隈明神と呼ばれていました。現在の竹駒神社の名称は、平安時代の僧侶能因が竹馬に乗った子供の姿で神様が現れたのを目撃したことに由来します。もちろん代々の仙台藩主にも崇敬され、1993年竣工した現在の社殿の前の社殿も仙台5代藩主伊達吉村によって造営されたものです。ところでなぜ昔の武将はこんなにも神社への崇敬が篤かったのでしょう? 実はいまから800年前ほど前の鎌倉時代に作られた基本法「御成敗式目」の第一条に次のような一文がありました。
「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳により運を添ふ」つまり神様は人間の敬の気持ちで力を増して人間を守ってくれる。だからこそ神社を大切にして神事をしなさいということが書かれていたのです。これこそ、神羅万象を敬い感謝するという日本人の気持ちの表われでしょう。その中でも日本で広く信仰されているのが竹駒神社の稲荷信仰です。お稲荷さんと聞くと狐を想像する方が多いと思いますが、実は御祀神はウカノミタマという五穀豊穣の神様。狐はウカノミタマの使いとして働く眷族です。そして日本といえばかっては「豊芦原瑞穂国」と呼ばれた国。これはみずみずしい稲穂がたくさん実る国という意味。日本人にとって米の恵みがどれほど喜ばしいものだったかがわかります。
そりゃあ、五穀豊穣の神様が「お稲荷さん」として慕われるはずです。さてここで、そんな竹駒神社創建に関わる逸話をひとつ。竹駒神社を創建したのが陸奥国司を命じられてこの地に赴任して来た小野篁という人物。百人一首でも有名な歌人でもありました。彼は赴任が決まると早速、京都の伏見稲荷大社で奥州鎮護を祈ったところ、伏見稲荷の神様が白狐の姿で現れたではありませんか! そこでかれは箱に収めて一緒に赴任先の多賀城へ。その道中、一行が奥州街道沿いの南長谷にかかる小さな橋にさしかかったとき、白狐が8回鳴いたそうです。そこで「どうしました?」と箱を開けると、中から白狐が飛び出し、森の中へ姿を消したとか。そこで、彼はその森に社をつくったのですが、これが現在の竹駒神社です。まさか国司が箱に入れて伏見稲荷大社の神様をお連れしたとはビックリですね。