志波彦神社・鹽竈神社
平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、東北地方の政治・文化の中心であった多賀城。その鬼門(北東)を守るように鎮座するのが陸奥国一之宮、鹽竈神社です。その境内には延喜式内社の中でも格式の高い神大社である志波彦神社も鎮座しています。ちなみに延喜式とは平安時代中期に編纂された格式で、927年に成立したもの。それに記載された神社を「式内社」といいます。つまり、志波彦神社は平安時代から朝廷に認識され、特に崇敬を受けていた神社ということを意味します。ではなぜそんな格式ある二つの神社が同じ境内にあるのでしょう? 実は、志波彦神社はもしもと仙台市岩切に鎮座していたのですが、境内が狭く祭祀を行うのが困難であるとの明治天皇の思召しで鎮座を行うことになったのです。
しかし、なかなか腰を上げない政府に対し、業を煮やした宮司が担当大臣に直談判。「神の事と明治帝のご意思をいてこれに勝る一大事があるか」と一喝したという逸話も残されています。そんな天皇家との繋がりをもう一つ。上皇后陛下(美智子さま)が現在の天皇陛下をご懐妊された時に、実家である正田家のお母さまが鹽竈神社にお詣りし腹帯を献上して、安産祈願をされたことも有名です。現在の天皇陛下のご誕生にも鹽竈神社の御伸徳があったということですね。鹽竈神社には3柱の神様が祀られています。別宮に主祀神シオツチジノカミ、左宮にタケミカヅチノカミ、右宮にフッヌシノカミです。
タケミカヅチノカミとフッヌシノカミは天孫降臨されたアマテラスオオカミの孫を地上に導いた武神として鹿島神宮(茨城)香取神宮(千葉)に祀られる神様。その2柱がその後、東北を平定に訪れた時に道案内をしたのが導きの神様であるシオジノカミでした。2柱が帰られた後も、シオツチジノカミはこの地に留まり、地元民に塩の製法などを伝授したとして今なお主祀神として祀られているのです。「塩釜」という地名の由来もここからきています。2柱の武神に導きの神様、それに塩の製法という産業まで授けてくれる神様がいるのですから、高いご神徳を預けるのも納得。奇しくも令和の御代になって初めてのお正月です。天皇の皇位継承にも深い関わりがある志波彦神社・鹽竈神社で静かに手を合わせるだけで、格別のご神徳が得られると思います。