被害妄想では?
オヤジはこのところ、元気がないように見える。どこか具合でも悪いの? と聞いてみたところ、よくぞ聞いてくれたといわんばかりに、その理由を話し始めた。オヤジの話は、いつも大げさで、冗談とも本音ともつかない、嘘のようで本当でもない話を思いつく。今日の話もきっとそんなところだろうと思って、構えていたとろ、案の定、笑っていいのか、悲しんでいいのか解らないブラックユーモアのようなものでした。その話というのは、お母ちゃんが毎朝つくっておいてくれる弁当が頻繁に盗まれるというのです。以前にもこういうことはありましたが、お母ちゃんは犯人を知っているのか、昼頃には、コンビニのおにぎりを届けてくれたので、それほど深刻には思わなかったが、最近は特にひどく、週に5回ぐらいはなくなるというのです。それは、お母ちゃんが弁当を作り忘れたのではないの? とボクが言うと、オヤジは、いや! そんなことはない。毎朝きちょうめんに朝寝坊をし、家の中の片づけは年二回と決めて、きっとり守っているような几帳面な人が、一旦決めたことを忘れるはずがない。やはり、誰かが盗んだのだ、と目をむいて怒るのです。
そんな冗談には、まともに付き合ってはいられないな! と思いオヤジに背中を向けると、オヤジも向こうを向いて、まだぶつぶつ何かを言っている。そのうちにお母ちゃんが帰ってきたので、こっそり、オヤジの愚痴を話したところ、犯人が私です。そして、お父さんはそのことを知っているはずです。でも、以前は、電話で「弁当わすれたでしょう」と苦情を言ってきたので コンビニでおにぎりを買ってきたのです。このごろは、何故かお父さんの方が電話をしてこなくなったのです。それはどうしてかというと、私が思うに、お父さんは食べ過ぎなので、たまには昼食を抜くものいいと思っているからでしょう。それに、食べようと思えば、カップラーメンなどもあるので、弁当が盗まれたなどと、本当の泥棒が気を悪くするような嘘をつくのは泥棒の始まりです。退屈しのぎにボクに投げかけた冗談を、それを承知していながら、お母ちゃんに振ったボクのせいで、お母ちゃんまで逆切れしてしまい、「口は禍のもと」だと、あらためて思い知らされました。でも、あのオヤジの真剣そうな話しぶりは、本当に冗談だったのでしょうか?
少なくとも、これまでオヤジはこんな小さな愚にもつかないようなたわごとを云ったことはなかった。もしかすると、何か心境の変化があったのだろうか。そういえば、オヤジは以前、こんなことを話したことがある。人は毎日のように鏡を見ているが、ふとした時、光の加減で自分の顔が別人のように映ることがある。そんな時、思わず鏡の中の自分にあいさつしてしまうというのである。ふと、われにかえり、よく鏡を覗き込むと、さすがに別人とは思えないまでも、毎朝お目にかかっている自分とはだいぶ違い、「おれはこんな顔だったっけ」と鏡に向かって呟く。ボクはそんな経験はありませんが、確かに、そうしたことはあっても不思議ではないような気がします。おとぎ話の「浦島太郎」も、そんな人間の一面を物語にしたのかもしれません。今日のオヤジの話も、鏡とは関係ないかもしれませんが、昨日の次の日の自分と何年か前の自分が異次元の空間で出会い、その時の戸惑いが、ブラックユーモアのような表現になったのかもしれません。なぜなら、冗談の場合は、冗談とはっきり解るよう話すのが、いつものオヤジだからです。