伊達政宗ゆかりの地
杉の間から差し込む木洩れ日が、瑞巌寺の厳しさを増幅させる。伊達政宗ゆかりの地・松島には御霊屋や仏像の傑作など数多く残されていて、それぞれの文化財は造られたその時代の人々の願いや思いを今に伝えている。神聖な空気に包まれた円通院三慧殿。ほの暗いお堂の前で一人静かに絢爛な厨房と対話する。そんなひと時を楽しむ松島の旅もいい。三聖堂は、天和2年(1682年)瑞巌寺第101世鵬雲東搏により建てられた。名前の由来は、正面に聖観世音薩摩蔵、左に達磨大師像、右に菅原道真公を祀っていることによる。本尊の一体、聖観世音菩薩像は「蜂谷観音」といわれ、鎌倉時代初め頃の作である。
観瀾亭は、「さざ波を見る」という意味で、伊達政宗公が豊臣秀吉公から拝領した伏見桃山城の茶室で、2代藩主忠宗公によりこの地に移築された。海を眺めながらお抹茶で一休みしよう。円通院のお霊屋は政宗の嫡孫光宗君の死を悼んだ忠宗公によって建立された。光宗君は幼少より文武に優れ、その才智は時の徳川幕府の心胆寒からしめる程だったが、江戸城内で19歳で早逝。一節には毒殺されたとも。荘厳な厨子の中の図案は支倉常長が持ち帰った様々な西欧文化を模様にして描き、鎖国制度の中で扉が開かれることはなかった。3世紀半もの間公開されずに現代に至った伊達藩の秘蔵である。
天麟院は、伊達政宗と正室・愛姫(めごひめ)との間に生まれた唯一の娘・五郎八姫(いろはひめ)の菩提寺で、境内には霊廟がある。五郎八姫は徳川家康公の第6男である高田藩61万石の領主・松平忠輝公の正室であった。万治元年5月8日没。享年68歳、法諡(ほふし:おくりな)を天麟院殿瑞雲全祥大姉と号す。陽徳院、円通院と並んで、松島の三霊廟に数えられている。そして、瑞巌寺は、鎌倉時代、法身禅師によって開かれた伊達家の菩提寺。現在の建物は慶長14年(1609年)に伊達政宗が4年の歳月を費やし復興させ、名を瑞巌寺と改めた。本堂・御成玄関、庫裡・回廊が国宝に指定。御成門、中門が国の重要文化財に指定されていて、特に本堂内の極彩色が見事。付属の宝物館清龍殿では代々伝わる寺の貴重な品々を展示している。