奥の細道の旅(塩竈)
早朝塩がまの明神に詣。国守再興せられて、宮柱ふとしく、彩檬きらびやかに、石の階九仞に重なり、朝日あけの玉がきをかかゝやかす。かゝる道の果塵土の境まで、神霊あらたかにましますこそ、吾国の風俗なれど、いと貴けれ。神前に古き宝灯有。かねの戸びらの面に、「文治三年和泉三郎寄進」と有。五百年来の俤、今目の前にうかびて、そゝろに珍し。渠は勇義忠孝の士也。佳命今に至りてしたはずといふ事なし。誠「人能道を勤、義を守べし。名もまた是にしたがふ」と云り。(奥の細道原文より)
正面が髄神門、ついで唐門、この唐門の右手に天然記念物の「塩竈桜」がある。芭蕉の書簡にも、みちのくの旅行の目的の一つに「松島の月」と並んで挙げているほどの桜だ。葉と同時に、しわのある花びらの八重桜が咲くが、見頃は5月上旬。本宮の左殿、右殿、それに塩土翁神を祀る社殿は、伊達家四代藩主綱村の造営で、元禄文化を反映して華麗である。芭蕉が感心した「古き宝塔」は右手に文治3年7月10日和泉三郎忠衡敬白の刻字がある。東から志波彦神社を出ると、鳥居の前に「おくのほそ道」の文字碑がある。
うら参道の道筋には茶店があり、一休みの人を迎えている。下りきって昔ながらの駄菓子屋がある路地を抜けたところが御釜神社。曽良日記に「塩釜ノかまを見ル」とある。釜は四口あり、塩土翁神が塩を煮るのに使ったという。マリンロードしおかぜに沿って海へ向かえば、松島への遊覧船乗り場まで歩いて15分ほど。海岸は一名「千賀の浦」ともいい、歌枕にもなっている。現在、松島へは遊覧船で約30分。港を出るとすぐ左手に見えるのが歌枕の「籬島」。その先の細長い屋根が東北有数の鹽竈魚市場。