松島の見どころ
松島とは、源頼朝の夫人・政子が雄島で修行中の見仏上人を慰めるため、姫小松千本を贈ったことから名付けられたたされる地名。また、時の帝だった鳥羽天皇が大蔵卿康光を勅使として贈ったという説もある。諸説あるが、古くから多くの文人墨客を引きつけた場所だけに逸話も多い。さて、五大堂の額には「五太堂」となっているが、これは筆の遊びで「大」が「太」になったか? 真意のほどは現地で確かめては! 荘厳な霊場の風格漂う仏僧の修行の島である雄島は、平安時代の高僧・見仏上人が12年間修行したと云われる地で、島全体が霊場ともいえる場所。岩盤に仏像が刻まれていたり、素掘りの洞窟を抜けると荘厳な空気に包まれる。悪縁起りの橋といわれる渡月橋が架かる。
五大堂は807年に坂上田村麻呂が東征の際、この地の風景に魅せられてお堂を建て、その後、慈覚大師円仁が円福寺(瑞巌寺)開基の時、五大明王像を安置したところ、毘沙門天は光を発して沖合の小島に飛び去ったという。これが毘沙門島の由来である。現在の建物は1604年に伊達政宗が再建したもので、国の重要文化財に指定されている。御開帳されるのは33年に一度で、次は2039年の予定。例祭は8月20日。この五大堂のすぐ近く見える長い朱塗りの橋が福浦橋。橋を渡った先が福浦島で、多彩な植物に覆われている。松島海岸の東側に浮かぶこの島は、全長252mの橋(出会い橋)で陸と結ばれている。島全体が県立自然公園で、250種を超える草木が自生し野鳥の姿も見かけられる。約1時間で一周できる遊歩道が整備され、休憩にぴったりの茶店もある。
松島の景観といえば、松島四大観でしょう。塩釜から遊覧船で松島に向かい、東北一といわれる塩釜の魚市場を左手に見ながら進むと、やがて右手に見えてくるのが、四大観の一つ、「多門山」でず。ここから眺める景色は、偉観と評されています。そして、外洋を過ぎて松島湾に入ると、桜と紅葉が楽しめる「扇谷」に近づきます。ここから眺めるご来光は見事で霊観と評されています。松島から、海岸沿いに石巻方面に向かう途中にあるのが「富山」で麗観、そのままさらに北上した先の東松島市にあるのが、「大高森」でここからは松島湾全体を眺めることができため、壮観と評されるにふさわしい景色である。そのほかに、鎌倉初期の歌人西行法師が、諸国行脚の折り、松の木の下で出会った童子と禅問答をして敗れ、最大の目的だった瑞巌寺詣でをあきらめて引き返したという言い伝えが残る、西行戻しの松も、桜の名称として知られている。