ふかふかの羽毛布団
お母ちゃんは先日、オヤジの掛布団をふかふかの羽毛布団に換えてあげました。オヤジは特にこだわりがないので、これまで使っていた布団でも十分満足していましたが、今度の布団は偉く気に入ったようです。オヤジが言うには、すごく温かいし、何しろ幅が広いのでゆったりしているところが特に気に入っているようです。もちろん、ボクも気兼ねなく布団に入ることができるし、やはり温かいように感じます。でも、ボクはどちらかというと暑がりの方ですから、少し温まると、すぐに布団を飛び出し、冷えてくるとまた潜り込むというかって気ままな寝かたなので、布団の暖かさそのものにはあまり感激しないのですが、オヤジが喜んでいるところを見るのはとても嬉しい。オヤジの考えは、「人は生まれてから死ぬまでの間、三分の一は眠っている。だから、その時間をどのように過ごすかによって、その人の生き方の質が違ってくる。つまり、三分一の時間をぐっすり眠れることは、後の三分の二の時間の暮らしが左右される」というのです。たしかに、睡眠の質は、充実した暮らしの延長であり、ゆったりとした眠りに繋がれば、朝の目覚めも快適です。
こうした望ましい循環を継続させるためには、「ぐっすり眠れること」が不可欠だとオヤジは考えているようです。仕事がら、ストレスをため込んでしまうことがあるので、質の良い眠りは、疲労の回復や明日のためのエネルギーの充填にもなるため、ほんの少しの豪華さではありますが、感激したのでしょう。寝るのがこんなに楽しみだなんて、これまでほとんど経験したことがない! などと無邪気にはしゃいでいる姿は、他に人にはどう映るのでしょうか? でも、他人にはめったに弱みを見せないオヤジが、こんなに喜びを表に出すのも珍しいことですし、第一、そんなにはしゃいで見せる理由が見当たりません。ということは、計らずも、羽毛布団によって、長年求めていた「上質な眠り」が思わぬ形で手に入ったことが、よほど嬉しかったのでしょう。そうしてみると、「ふわふわで温かい」というのは勿論ですが、「ボクとオヤジだけの空間」が格段に広がり、お互い手足をのびのびと投げ出せる空間を手に入れることができたことも、喜びの理由だったのかもしれません。
本当のことを云うと、実はボクも布団の中では少し遠慮していました。といっても、極端に気を使っていたわけではありませんが、物理的に狭いスペースの中なので、オヤジの眠りを妨げてはならないと思い、できるだけはじっこに陣取ることが多かったように思います。でも、これは遠慮ではなく、このうちに来た時に、自分で決めたルールの一つなのです。そのルールとは、言ってみれば「寸止め」とでも言いましょうか、どんなに仲の良い家族でも、相手の領分を冒してまで、自己主張すれば、いつかはその憤懣が爆発する。そんなことになったら、せっかくの良い関係が崩れてしまう。オヤジとお母ちゃんは、ボクにもっと甘えてほしいと思ったこともあったかもしれないが、一歩手前で止めておくことをルールにしたのです。その結果、オヤジもお母ちゃんもそのことをわかってくれて、ボクの気持ちを察してくれることに繋がり、お互いの気持ちがより一層通じ合えるようになったと自負しています。人間の世界には「親しき仲にも礼儀あり」という言葉がありますが、これは「水くさい」ということとは違い、持続性のある思いやりを築く礎となっているものと信じています。