オヤジの泣き笑い
オヤジにできる家事といえば、洗濯物の取り込みと、食事の後の食器洗いぐらいです。それも以前は全く手を触れることさえなかったのですが、うちの中で仕事をすることが多くなってから、時々洗濯物の取り込みを手伝うようになりました。というより、「雨が降ってきたので、洗濯物を取り込んでおいて下さい!」という電話があり、なかば渋々とそれに応じたのがきっかけで、これが結構難しいことに気がつき、たまに、自主的にするようになったのが始まりでした。しかし、それから間もなく、オヤジが体調を崩したせいで、洗濯物の取り込みは終わってしまったのでした。その後はますます外出する機会が少なくなり、家事の大変さがようやくわかったのか、お母ちゃんにはやらなくていいといわれていたのですが、体調もだいぶ回復したので、せめて洗濯物の取り込みぐらいはやろうと決心したようです。お母ちゃんは、最初のうち「そんなことしないで下さい」といって、オヤジの体調を気遣っているようでしたが、やってもらえるのならそれに越したことはない、と思うようになったようです。
そうなると、取り込みの順序や取り込んだ後のクリップ(洗濯ばさみ)の戻す位置、ブラインドの絞め方など細かい注文が次々出される始末です。取り込みを自主的に始めた頃は、なんだかんだ言いながらも、お母ちゃんも「ありがとう!」といって感謝の意を表していたのですが、今では当たり前のようになり、「ありがとう!」は10日に1回あるかないかです。それが当たり前だとはわかっていても、オヤジにしてみれば、褒められなくなったことには少し不満が残るようです。そこでオヤジは、あらたに食器洗いという仕事に挑戦してみることにしました。今度は、洗濯物のときのような徹を踏まないように、注意深くお母ちゃんの仕事を観察し、最初から褒められるようにやろうと、盤石の態勢を整えて仕事にかかりましたが、これもやってみるとなかなか奥が深い。食器の取り扱い方、洗剤の使い方、洗った後の乾かし方等々。でも、注文が多い割には、お母ちゃんは素直に喜んでくれたので、オヤジとしては満足だったようです。
そういえば、だいぶ以前に自動食器洗い機を購入しようと提案したことがありました。しかし、お母ちゃんは首を縦に振りませんでした。その後も何度か勧めたのですが、やはりお母ちゃんの答えは同じだったので、今日に至っています。なぜ自動食器洗い機ではだめなのかはよくわかりませんが、少なくとも、食器は自分の手で納得のいくように洗うべきだというこだわりを持っていることは確かです。ですから、オヤジが手を抜くのではと心配なのかもしれません。その点では、オヤジの食器洗いは合格だったのかもしれません。それで、ずぼらな瞳(つぶらな瞳ではない)で、ありがとうといったのでしょう。でも、その後の展開は、洗濯物の取り込みと一緒で、ほとんど感謝されることはあれません。あったとしてもほんの儀礼的なもので、"今度はもっとうまくやろう"というような心を動かす動機づけには程遠いものです。そこで今度は、「ゴミ出し」に挑戦しようと思っているのですが、これもやめて下さい、といわれています。"まんじゅう怖い"ではないのでしょうか?