はやとちり "こいつは春から"
この前の土曜日(1月26日)、東日本の太平洋側は雪に見舞われ、ここ塩釜も朝起きてみると少し雪が積もっていました。それでも夕方近くにはお陽様が顔を出し、風もやんだので、部屋の中で仕事をしていると、春の到来を思わせるような空模様でした。いつものように、オヤジは、パソコンに向かっていたところ、庭の木の枝の方から、「ホットケーキー」という今まで聞いたことのない小鳥の啼声が聞こえました。しばらくその啼声に耳を傾けていたオヤジは、ボクに向かって、「ムサシあれはウグイスではないのか。今年は早く来るように頼んだのか?」というのです。「いくらボクが頼んだとしても、この寒さの中、こんなに早く来てくれるとは思えない」と答えると、そうだよなぁ! ウグイスにだって都合があるだろうし。でも、確かに、春先に来てなき方の練習をしているときの啼声だったぞ! 「そうだとすると、「こいつは春から縁起いいわい!!」と一人で興奮している。でも、ウグイスがあんな綺麗な声で啼くのは、求愛行動で春から初夏にかけての一定の期間に限られる。
それ以外の季節には「チャチャ」となくというのが定説だ。今の季節に啼くことはあり得ない。ましてや「ホットケーキー」などと啼くなんて、明らかにおかしい。そういってオヤジの「はやとちり」を諫めたものの、だいぶ前、2月早々にウグイスが庭にきて、弱々しく「ホーホケキョ」と啼いたことは確かにあった。考えてみると、その2月ももう目の前に来ている。してみると、気の早いウグイスが一羽ぐらいいても不思議ではないという気もしてきた。それに国会で証言するわけでもないし、せっかくオヤジが「こいつは春から縁起いいわい!」とはしゃいでいるのですから、ウグイスが庭に来て啼いたことにしておいても、だれにも迷惑をかけるわけでもないと思い、逆らうのをやめました。するとオヤジは、「ムサシ、明日、久しぶりに山へ行ってみるか!」と言い出しました。「山」とは以前は二人で毎日のように行った公園のことです。そこにはちょっとした森があり、ウグイスのベースキャンプになっていて、彼らはシーズン中、そこからわが家へも通ってくるのです。
頭を冷やしてあの場面を思い出してみると、ウグイスでないとしても今までに聞いたことのない啼声だったので、もしかしたらという期待もあり、次の日、公園に行ってみましたが、ウグイスはおろか他の鳥とも全く遭うことができませんでしたが、あれから10年以上も経つというのに、公園は昔のままで、森の雰囲気や土の匂いなども全く変わっていません。ただ、散歩しているワンちゃんたちとは、全く面識がなく改めて長い年月が経過したことを思い知らされました。"年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず"といったところでしょうか。それでもボクはオヤジほど感傷に浸ることはありませんでした。というのは、あの世とこの世の大きな違いは時間という概念がないことです。ボクはこの世を去ってから10年以上も経ちましたが、すぐにこの家に舞い戻ってきたので、すこしややこしいのですが、オヤジやお母ちゃんと違うのは、時間が無限にあるということです。ですから、こういうことでもなければ、時間のズレを調整できないのです。