福壽山 圓龍寺
柴田町にある福壽山 圓龍寺は、『樅木は残った』で知られる原田甲斐の父、原田宗資が1594年に創建した。「中世の頃、この辺には石田小花館と丸山館の2つの城があり、新領主・原田家に抵抗した丸山館城主は、一族郎党惨殺されたそうです。後に原田氏はその処罰の厳しさ、人の世の哀れを思い、この地で大法要を開くために建立したのが圓龍寺です。その後、原田甲斐の切腹により原田家は断絶し、原田甲斐の菩提寺・東陽寺も東和町へ所替えとなっています」。寺にまつわる歴史を話してくださるのは、高橋正人住職である。
歴史のある古刹には、さらに歴史ある仏たちが鎮座していた。薬師如来立像と十二神将立像で、1415年の銘で室町時代の造作とわかる。薬師如来は東方瑠璃光如来とも呼ばれ、東に大洋を抱える地・宮城の人々にとっては特に身近な仏の一つ。災厄を除去し、病魔を追い払う力を持つ薬師如来に従う十二神将には、それぞれ7千の眷属が従っているので、8万4千もの病気や苦しみを治してくれるという。今では興亡が定かではない目蓮寺に安置されていたというこれらの仏が、圓龍寺に移されたのは1908年のこと。
それ以外にもお堂には不動明王や子安地蔵、マリア観音などが安置されているが、いずれもかつてはこの地域にあった寺やお堂に安置されていたものだ。子安地蔵は、若い女性が1ヵ月借りていったところ、子供を授かったと喜ばれたことも。古来から地域の祈りを受け止めてきた園龍寺は、「おらほの山の寺」と親しまれている。「時代時代で人々の苦しみ、悩みは違いますが、皆さん手を合わせ、慰めを得てきたのでしょう」。境内にある立派な鐘楼は15年前、かつて戦争で供出された鐘を前住職が長年の念願をかなえて復興させたものだそうだ。年末年始、平和の鐘の音がのどかな山あいに響くことだろう。