興聖山 安国寺
前に豊かな大崎耕土、後ろには緑深き森。巡らせた白壁越に覗く重厚な屋根や整えられた植栽も美しい安国寺は、絵になるお寺である。その開山は南北朝時代に遡るという。足利尊氏、直義兄弟が元寇の役以来の戦死者の菩提を弔うため、全国各地に建立とした「一国一寺の安国寺」の一つで、夢窓国師の開山と伝えられている。幾度かの戦禍のために焼失荒廃し、空白の期間を経て、二代藩主伊達忠宗公が領内視察の際に、松島瑞巌寺の雲居和尚から当山の由来を聞き中興させた。
雲居和尚を中興開山の年、その後も住職の兼務が続くなど、瑞巌寺とのつながりがは深い。境内には、1760年に造営された上段の間のある客殿、京の庭園を彷彿とさせる池や砂紋の美しい庭園、竹林などがあり、名刹の趣が感じられる。残念なことに「江戸時代以前の資料は一切残っていないのです」と第19世住職の梅津浄演さん。資料はないものの、貴重な宝は多い。仏殿に座す阿弥陀如来像がその一つだ。1676年、第4世の通玄和尚の協力を得て、腐朽していた阿弥陀仏三尊の仏像を補修し、仏殿を採鉱して安置したという。
ふくよかな頬にきりっと結んだ口、光背も見事で、重厚さと優しさを兼ね備えた堂々たる仏様だ。脇仏の観世音菩薩と体勢至菩薩を従え、足元に獅子を抑え込み、見るものの心を穏やかにしてくれる雰囲気を漂わせている。南北朝時代、運慶の流れを組む仏師の作とされる。この他にも、南北朝時代の作とされる毘沙門天像、江戸時代の作とされる千手観音像が安置され、秀でた書の数々など価値のある歴史遺産が残されている。地名まで安国寺であることに、地域の人々とともに歩んできた歴史の重みが感じられる。法灯を守り続ける心は、塵一つなく清められた環境にも見ることができよう。