その後のわが家
ようやく落ち着きを取り戻したわが家ですが、この時期になると、決まって交わされる会話があります。それは、オヤジが、「来年はもう、参加するのをやめよう!」というと、お母ちゃんも、すかさず「そうしましょう」と応えるのです。傍で聞いているボクは、「そのセリフ毎年言っているよね!」と、思わず言いそうになります。もちろん、両人ともそんなことは承知しているはずですが、何故か大真面目なのです。ということは、その時は本当にそう思うのでしょうが、その来年が来ると、結局、参加することになるのだから不思議です。そのことをオヤジに聞いてみたところ、「来年は参加しないとは言ったが、今年は参加しないとは言っていない。来年の今頃は、もう今年になっているはずだから、その時に参加を決めるのは、何の支障もない。」という屁理屈にもならない言い訳をします。
しかし、これが人間の社会なのでしょうね。不祥事を起こした企業の社長が、「こんなことが二度と起こらないよう厳重に注意します。申し訳ありませんでした。」というたぐいのセリフが毎日のように飛び交っているところをみると、オヤジの屁理屈などはかわいいものかもしれません。オヤジに言わせれば、「人間は忘れるから生きていけるのだ、これは、欠点ではなくむしろ能力なのだ」そうです。それとこれとは少し違うような気もしますが、性懲りがないのが人間であることだけは確かなようです。それはともかく、オヤジの心を読み切り、あえて逆らうことなしに、その場はすんなりと同調しておく。これがお母ちゃんのしたたかなところです。その証拠に、来年になれば、「参加しなければ、一生後悔しますよ!」などといって、オヤジをやんわりと脅迫するに違いないからです。
実は、ボクが散歩のとき、自分の好きなように歩き回れたのは、お母ちゃんのこの戦法を手本にしていたからなのです。例えば、オヤジは真っすぐに行こうとしているときは、まず、これに従い、曲がるのをあきらめたようなゼェスチャーをする。そして、次の曲がり角でもう一度チャレンジする。これを繰り返すことで、オヤジはボクの気持ちを汲んでくれるようになるという訳です。つまり、特に反対する理由がないときには、本当はこうしたいというシグナルを送り続けることで、徐々に相手もそれを受け入れるようになるということです。こうして、ボクとオヤジは掛け替えのない相棒になったのです。面白いことに、ボクの行動のモデルになったお母ちゃんが、このことに全く気づいていないことです。ともあれ、今日もわが家は平穏で、朝から昼寝を楽しんでいます。