仙台まちなか神社めぐり(その2)
城下町の歴史をかたる縁結びの神様 野中神社:サンモール一番町の南町通寄り、アーケードに赤い大きな提灯がぶら下がっている。野中神社は、そこから西へ入った左手、赤い鳥居の奥になる。伊達政宗が仙台城築城と城下町の建設に着手したのは慶長6年(1601年)。その際、町割りの縄張りに使った縄を土中に埋め、その上に野中神社を祭ったという。それ以前、一帯は人家もまばらな荒野だったとみられ、開かれた城下町こそが、現在の仙台の原型となった。縄にちなんで縁結びと商売繁盛の神として知られているせいか、若い女性の参拝者も多いという。祭礼は、七月中旬、近隣の神社と合同で「一番町三社まつり」として、盛大に行われる。
祭神は一番町商店街の礎となった山家氏の祖 和霊神社:ファッション専門ビル、仙台フォーラス屋上に小さな社が建つ。ここには愛媛県宇和島市にある和霊神社の分霊が祭られている。元和元年(1615年)伊達政宗の長男秀宗が宇和島藩主となった際、政宗の家臣である山家清兵衛公頼が家老として支えた。しかし、藩財政立て直しに尽力するも、政敵の陰謀もあり殺害される。その後、清兵衛のたたりと恐れられる怪事件が相次ぎ、秀宗は清兵衛の霊を慰める和霊神社を建立した。時代は維新後の明治5年、広瀬通そばの東一番町に屋敷を構えていた清兵衛の子孫、豊三郎は邸内に小さな店舗十数件を建てて貸し出し、さらに敷地内に祭ってあった和霊神社の祭礼を催した。これが商店街としての東一番町の始まりと言われる。
老舗でパートの屋上で幸運を見守る 藤崎えびす神社:海のかなたの宝船に乗り合わせて到来し、私たちに幸運をもたらすといわれる七福神。その中で商売繁盛、除災招福の神としてしられるのが恵比寿様だ。仙台のデパートとして親しまれてきた藤崎は、文政2年(1819年)呉服商として創業した。その時の屋号は「得可壽(えびす)屋」で、商標にも立ち姿のえびす像が採用された。いずれもえびす神にあやかろうとしたものと考えられている。昭和7年の大増築の際、氏神としてあがめていたえびす様を兵庫県の西宮神社から勧請し今日に至っている。1月4日から7日には奥州仙臺七福神の出開帳が七階の催事場で開催される。一度に七福神巡りができるいい機会だ。