仙台まちなか神社めぐり(その3)
屋敷神から一番町四丁目商店街の守り神に 金蛇水神社:仙台三越の「定禅寺通り館」になった141ビルのオープンは昭和62年。その一番町に面した角に、小さな社があることに驚きを感じた人は多かったに違いない。141ビルとなったエリアには、戦前、仙台市長を務めた鹿又氏の屋敷があり弁天様が祭られていた。しかし空襲で焼失。やがて戦後の22年頃、地域では病人や商売不振などが続き、同じ時期、ヘビにまつわる出来事が相次いだ。地域の人たちは相談し、さらにさまざまな縁があり、岩沼市にある金蛇神社の分霊を祭ることになった。現在地に移転するまで、社は幅3尺ほどだったが、広く信仰を集め、やがて四丁目商店街全体でお祭りすることになった。祭典は8月の最終土・日に行われる。
変わりゆく街の中で、人の輪を生む大日様 柳町大日堂:"おだいにっつぁん"の名で親しまれてきた柳町の大日堂。昔は柳生山教楽院と呼ばれた真言宗の寺で、米沢、岩出山、仙台と伊達家に付き従ってきた柳町の守護人として祭られた。毎年7月19日、20日に柳町の通りを歩行者天国にし、門前で行われる「やなぎまち夏祭り」は、大勢の人でにぎわい仙台に本格的な夏の訪れを告げる。夏祭りはもちろんのこと、新年の参拝、どんと祭を切り盛りするのは柳町商店街の方々だ。活動は活発で、通りに外灯を立て、境内に守り本尊の未と申のブロンズ像を建立。近年は急速に変わりゆく町の風景を見据えながら、子供たちや父兄を上手に巻き込み大日様を盛り立ててきた。柳町の店を楽しみながら参拝して、町の人の元気をもらいたい。
勢至菩薩を祭り、二十三夜の月に祈る 二十三夜堂:二十三夜とは下弦の月を指す。この日、北目町の人々は、月の仮現といわれる勢至菩薩を祭るお堂に集い、夜半の月の出を待って度胸と食事を楽しんだという。静まりかえった町の中で月を見上げる人の姿が思い浮かぶ。北目町は、城下建設の際、郡山北目に暮らしていた足軽、北目衆を移住させ町割りした町で、二十三夜堂もその時、移された。奥州街道沿いで伝馬役を担っていただけに、行き来する人で大いににぎわったようだ。月待の講は今は行われていなが、毎月23日、住職の四竈亮澄さんが9時から17時まで開堂しご祈祷を行っている。ひと月に一度、自分を見つめ直すために手を合わせる人の姿は、時代は移っても変わらないようだ。