割り切れないマイナンバー制度
人類が発明したものの中で、最も素晴らしいものの一つが数字である。この数字で表現することで、長さや重さ、広さ、序列などが認識できるからです。国が今回導入することになったマイナンバーも、数字がなければ始まらないわけですから、当然の成り行きともいえそうですが、私たち庶民にとっては、率直に言って今更の感も否めません。改めて考えてみるまでもなく、マイホーム、マイカー、マイネームなどにもすべて、ナンバーが付されています。
つまり、マイホームには住所番号が、マイカーにはナンバープレートが、そして、マイネームにだって、健康保険証番号や運転免許証番号その他、自分を特定するための番号が付されています。ただ、銀行の窓口などで聞かれるように、「大変お待たせいたしました。○○の番号のカードお持ちのお客様!△△の窓口にお越しください」などという使い方は、番号カード主体ではなく、あくまでも自分が主体であるという響きが感じられます。しかし、今度のマイナンバーは、番号が主役のように感じられ、自尊心が傷つけられます。
もちろん、メリットも多いのかも知れませんが、このマイナンバーは「自分の番号というより、付けられた番号が私である」というふうにしか受け取れません。それは、番号で管理される「ある場所」を彷彿とさせるからでしょか。人は良くも悪くも、個性で識別されるから人格の尊厳を感じるのであり、意図的あるいは便宜的に創られた個性では、「本人であるという自覚が薄くなるような気がする」とわが家のオヤジがぼやいています。なるほど、いわれてみれば、ボクも訓練所で、番号で呼ばれていた時はとても味気なかった。