鯛と波頭 笹かまぼこ販売一筋五十年
株式会社 すゞき物産
トップページへ
商品案内
会社案内
リンク
 店長の blog
<   2015年10月
日 月 火 水 木 金 土
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

  • おかいもの
  • ちょっと一言
  • みやぎの見所
  • わが家のムサシ
  • イベント情報
  • オープンご挨拶
  • キャンペーンご案内
  • ホットな出会い
  • 一期一会
  • 大震災
  • 美味しいもの情報

招き猫
powered by Movable Type Movable Type 5.2.10

<<栗駒山の紅葉 | ブログTOP | 蔵王エコーラインの紅葉 >>

割り切れないマイナンバー制度

人類が発明したものの中で、最も素晴らしいものの一つが数字である。この数字で表現することで、長さや重さ、広さ、序列などが認識できるからです。国が今回導入することになったマイナンバーも、数字がなければ始まらないわけですから、当然の成り行きともいえそうですが、私たち庶民にとっては、率直に言って今更の感も否めません。改めて考えてみるまでもなく、マイホーム、マイカー、マイネームなどにもすべて、ナンバーが付されています。 

つまり、マイホームには住所番号が、マイカーにはナンバープレートが、そして、マイネームにだって、健康保険証番号や運転免許証番号その他、自分を特定するための番号が付されています。ただ、銀行の窓口などで聞かれるように、「大変お待たせいたしました。○○の番号のカードお持ちのお客様!△△の窓口にお越しください」などという使い方は、番号カード主体ではなく、あくまでも自分が主体であるという響きが感じられます。しかし、今度のマイナンバーは、番号が主役のように感じられ、自尊心が傷つけられます。 

もちろん、メリットも多いのかも知れませんが、このマイナンバーは「自分の番号というより、付けられた番号が私である」というふうにしか受け取れません。それは、番号で管理される「ある場所」を彷彿とさせるからでしょか。人は良くも悪くも、個性で識別されるから人格の尊厳を感じるのであり、意図的あるいは便宜的に創られた個性では、「本人であるという自覚が薄くなるような気がする」とわが家のオヤジがぼやいています。なるほど、いわれてみれば、ボクも訓練所で、番号で呼ばれていた時はとても味気なかった。

投稿者: みやげもの店主 | 日時: 2015年10月19日 18:50 | カテゴリ: わが家のムサシ

■コメントを投稿

いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。



※スタイル用のHTMLタグが使えます