いにしえの歌枕 多賀城(その2)
後拾遺和歌集には、清原元輔が末の松山で詠んだ「ちぎりきなかたみにそでをしぼりつ すゑのまつ山なみこさじとは」があります。「末の松山」は八幡地区にある宝国寺裏の丘にあり、今も松の木が天高くそびえ昔日のなごりをとどめています。この歌は百人一種にも入っている有名な歌です。「末の松山」は、恋愛をテーマに様々な歌に多く詠まれた歌枕で、松尾芭蕉も「奥のほそ道」紀行のなかで訪れています。
また、「末の松山」近くにある奇石が連なる池「沖の井(沖の石)」は、和歌が詠まれて名所となり、江戸時代には保護するために、守人も置かれていました。ここでは、二条院讃岐が「わが袖はしほひにみえぬおきの石の 人こそしらねかわくまぞなき」を詠み、千載和歌集に納められています。この歌も百人一種に入っている有名な和歌で、沖の井(池)には、今日でも不思議をとどめて残されています。
そして、歌枕「野田の玉川」に架かる橋「おもわくの橋」は、西行法師が「ふま、うきもみちのにしきちりしきて 人もかよわぬおもはくのはし」を詠み、山家集に納められている名所です。この橋は、前九年の役で有名な安倍貞任が恋人と待ち合わせたという伝説から「安倍の待橋」とも呼ばれています。野田の玉川のせせらぎに架けられた「おもわくの橋」には、その他にも、安倍貞任と恋人の「おもわく」との恋物語が伝えられています。