いにしえの歌枕 多賀城(その1)
多賀城は神亀元年(724年)に陸奥の国府及び鎮守府として置かれ、約200年もの間、東北地方の政治・軍事の中心でした。奈良・平安の昔、都から多賀城に赴任した人々が、周辺の美しい自然を歌に詠んだことから、多賀城は都人たちのあこがれを集め、広く親しまれていました。この時代の和歌に詠まれ全国的に知られた名所は「歌枕」と呼ばれ、多賀城周辺は歌枕の多いことで知られています。
多賀城碑(壺碑)を詠んだものとして、山家集に納められている西行法師の「むつのくのおくゆかしくそおもほゆる つほのいしふみそとのはまかせ」が知られています。「多賀城碑」は「壺碑(つぼのいしぶみ)」とも呼ばれ、日本三古碑の一つに数えられています。この碑には、京や蝦夷国、常陸国、下野国、謎の靺鞨国から多賀城までの距離、多賀城の創建、修造などが141文字で刻まれています。
また、能因法師が野田の玉川で読んだ「ゆふさればしほ風こして みちのくののだの玉河千鳥なくなり」が新古今集にあります。ここは、全国にある「六玉川」の一つであり、千年ほど前は、このあたりまで海の潮が満ち干して、月見にはこのうえない場所だったと考えられています。塩竈市との境を流れる小川ですが、現在は、「水・緑景観モデル事業」として改修整備が行われ、市民の憩いの場となっています。『多賀城碑(壺碑)9/23参照』